| (18)韋駄天『三島弥彦』のスポーツ歴 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/02/23)

今年は『オリンピックイヤー』。夏には東京で2度目のオリンピックが開かれる。昨年、開催の予定だったが、新型コロナウィルス感染拡大で1年延期された。そこでオリンピックにちなんだ話題を追ってみたい。日本が近代五輪に初めて参加したのは1912(明治45)年のこと。ストックホルムで開かれた第5回大会の陸上競技に三島弥彦と金栗四三が出場した。当時は海外に出向くといっても今日のような便利な飛行機はなく、船と汽車による長旅だった。一行は嘉納治五郎(講道館創設者)を団長に、日の丸を掲げて入場行進をした。三島は短距離に、金栗はマラソンンに出場したが、メダルはおろか、決勝までは進めず、金栗は途中棄権した。
三島は幼少期から運動神経が抜群によかった。特に「かけっこ」が得意で百メートル11秒8、二百メートル25秒3の日本記録を持っていた。今なら中学女子程度の記録だろう。スキーは日本にスキーの技術を伝えたレルヒ少佐に指導を受けたという。それ以外にはボート、スケート、馬術、野球をこなした。体格面で優れ、日本人としては大柄(170センチ)な部類に属していた。家人によると陸上の短距離走ではスタートが遅かったそうで、三島は『人様より早く飛び出すのは嫌だ』が口癖で周囲が走り出してからスタートをした。それでもゴールでは真っ先にテープを切っていたという。
野球は学習院時代には本格派の投手として鳴らし、18歳の時から口ひげを蓄えていた。
《写真・三島の学習院時代のユニフォーム姿》
|