(53)国産機で世界1周〜燃料よりゴルフバッグを |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2022/01/06)
191937(昭和12)年から同39(同14)年にかけて日本の航空業界は世界を『アッ!』と驚かせるような快挙で、日本の航空技術の優秀さをアピールした。
その第1号は同年春、朝日新聞社の後押しによって三菱重工が試作した単発の航空機『神風号』が、東京〜ロンドン間を94時間余りかけて飛んだ。2年後の秋には毎日新聞社が後押した双発の『ニッポン号』が15万キロを超える距離を飛んで世界一周を達成した。
神風号は飯沼正明、塚越賢璽、ニッポン号は中尾純利が操縦かんを握った。飯沼、塚越は朝日新聞社の航空部員。一方の中尾は三菱のテストパィロット経験者で、のちに羽田の空港長を歴任している。
中尾は若いころからゴルフ好き。小金井カントリー倶楽部の会員だった。日本のゴルフ界ではこの時、中尾の快挙を記念するゴルフ大会を小金井カントリー倶楽部で開いた。日本のゴルフ界の大御所である大谷光明(日本ゴルフ協会チェアマン、会長)をはじめ赤星四郎、六郎の兄弟、佐賀・鍋島藩の鍋島直泰らゴルフ界の大物が出席し、中尾の快挙を祝福した。プレー後、参加者たちは中尾を囲んで苦労話に耳を傾けた。中尾はアメリカでゴルフ道具を購入して道中、飛行機に積んで各地を歴訪した。中尾は『ゴルフバッグを降ろしてその分、燃料を余分に積める』と各空港で言われたそうだが、がんとして拒否した。『私にとってゴルフバッグは命から2番目に大切なもの』という体験談に拍手喝采が多かったらしい。
《写真・中尾の快挙を祝った記念ゴルフ会〜小金井カントリー倶楽部で》
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