(49)名物姉妹キャディーの物語〜他倶楽部でも付き添いを求められた実力 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/11/29)

1958(昭和33)年に開催された読売プロゴルフ選手権は、72ホールストロークプレーで争われたが、前半の36ホールを東京ゴルフ倶楽部で、後半の36ホールは1日おいて、相模原ゴルフクラブで行われた。大会は五日間という変則的な日程になった。アメリカからジャック・バーク、ケン・ベンチュリーというその時代のトップクラスの実力者が出場した。地元の日本勢はカナダカップで大活躍した中村寅吉が注目され、遠来のアメリア勢と第1日から激しいトップ争いを演じた。
新進気鋭のベンチュリーに川目昌子(霞ケ関カンツリー倶楽部の金子くら子の姉)という東京ゴルフ倶楽部のハウスキャディーが付き添った。ベンチュリーは初来日でプロに転向したばかり。2年前、1956(昭和31)年のマスターズではアマチュアながら優勝争いを演じ、初優勝か、と騒がれた新進気鋭のホープだった。しかし初の海外遠征で不安だらけの旅だったようだ。ところがキャディーを務めたに川目は、英語で対応しながら、ベンチュリーを勇気づけた。そこでベンチュリーは後半のプレーが行われる相模原ゴルフクラブでも、彼女に付き添ってもらいたいと異例の要求を持ち出した。キャディーは大会が行われる倶楽部のハウスキャディーが付き添うのが原則だ。主催者側は戸惑った。川目は『コースの特徴も芝のことも知らないので、無理です』と断り続けたが、ベンチュリーの懇願に競技委員長小寺酉二(日本ゴルフ協会常務理事)は『そこまで要求するなら・・・』と承認した。ベンチュリーは結局2位の好成績を収めたが、『優秀なキャディーのおかげだ』とプレー後は称賛しきりだった。
《写真・知らぬコースで懸命に付き添う東京GCの川目さん=相模原GCで》
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