| (27)中村兼吉USオープンでの快挙 |
番組名:取材メモ・写真に見る日本のゴルフ史 |
更新日(2021/05/10)

ゴルフの日米対抗戦戦で海を渡った6人は、42回に及ぶ対抗マッチで4か月という長期にわたり、見知らぬアメリカの主要都市をくまなく訪れた。対抗戦は勝ち越しの成績で、日本のゴルフの名声を高めた。地元のアメリカは延べ200人のメンバーを繰り出したとPGAが発表した。この中にはサム・スニードも、ボビー・ジョンズも含まれていたという。
80年以上も昔、アメリカのプロと渡り合い、勝利6割(25勝13敗)という成績は、高く評価されるべきだろう。また、6人のプロたちは道中、不平を漏らさすことなく、耐えたという。
一行はこの間、5つの選手権に出ているが、中村兼吉の米国オープン(ペンシルベーニア州オークモント)58位タイの成績は特筆ものだ。
この年の米国オープンは、23地区で予選を勝ち抜いた159人が出場した。日本の6人は予選免除で出場したが、中村兼吉だけがただ一人、前半の36ホールを通過、後半36ホールのプレーに進んだ。第3ラウンドを終え、43位タイまで順位を上げたが、最終ラウンドは崩れて58位タイ(通算325打)に終わった。USGA(米国ゴルフ協会)の記録には《KANEKICHI NAKAMURA JAPAN,62・79・78・86》と記載されている。
この快挙にアメリカの放送局から「あなたはいつ、ゴルフを始めたか。」「今後、アメリカに留まる意思があるや。」とインタビューされ、加沼団長の通訳で中村の一世一代の声が全土に流れた。だが、中村の快挙はとうの昔の物語で、肝心の日本では忘れ去られている。
《写真・1935年の全米オープン選手権に出場した6人のプロたち。左から3人目が中村兼吉(オークモントカントリークラブで)》
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