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昭和天皇のゴルフと崩御 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2013/03/10)

 昭和64年1月7日、天皇陛下(昭和天皇)が亡くなった。 陛下は1916(大正5)年、摂政宮(皇太子)であらせられた15歳の時、静岡県沼津の御用邸にご滞在中、田子の浦海岸でクラブを振られた。 砂浜だからサンドゴルフというような打ち放しゴルフを体験された。 本格的におやりになったのは1919(大正8)年頃だ。森村市左衛門(東京ゴルフ倶楽部会員)、西園寺八郎ご用掛けから勧められたのが動機になった。 森村、西園寺両氏は『ゴルフは最も紳士的で格調の高いものである。 将来、天皇になられる方のスポーツとしては最もふさわしい』と協議した結果、森村氏が用具を献上し、西本願寺の大谷光明氏(日本ゴルフ協会元チェアマン)が手ほどきを申し上げた。

大正11年4月、英国皇太子を迎えて東京ゴルフ倶楽部(駒沢)で挙行された日英皇太子の親善ゴルフマッチは、日本のスポーツ史に残る大きな出来事であった。 しかし、陛下は昭和12年、日支事変勃発にともない、きっぱりとゴルフをおやめになった。 戦後の昭和22年、侍従が健康管理のためにゴルフをお始めになってはいかがだろうか、と皇后のお許しを得て再度を勧めたが、陛下は『一木、一技も切るとは・・・』と二度とクラブをお手にすることはなかった。

しかし、陛下はゴルフには深い関心を寄せておられた。 陛下の大喪の礼は新宿御苑で行われた。ここにはかつて皇室専用のコースがあり、陛下はここでゴルフを履修されたことがある。陛下の大喪の礼はゴルフゆかりの地で行われたわけだ。

《1922(大正11)年4月、日英皇太子親善ゴルフマッチに出場された摂政宮(昭和天皇)》