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朝日新聞社が支援に登場 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/06/10)

全国中等学校(今日の全国高校野球)の開催などでも知られるように、朝日新聞社はアマチュアスポーツの振興に熱心だった。 戦後の”新しいスポーツ”としての学生ゴルフの動向にも、当然、無関心ではなかった。

とりわけ、ゴルフ記者の草分けとして知られた植村陸男(元週刊アサヒスポーツ編集長)は、関東学生ゴルフ連盟の発足を、学生ゴルフ支援のきっかけとしてとらえるべきと考え、上層部に進言。 信夫韓一郎(元専務)の賛同を得て、事業担当部の企画部に話を持ち込んだ。 ここにはアメリカ生活が長く、ゴルフにも通じた二宮順がおり、連盟発足の1週間後の7月8日、早くも『第1回朝日招待関東ゴルフ競技会』(主催・関東学生ゴルフ連盟、後援・朝日新聞社/会場・我孫子GC)を実現させた。 以後、代々の学連委員は、二宮に伝授、指導された競技運営のノウハウを後輩にバトンタッチしていくことになる。

朝日はさらに、単に競技会を開くだけではなく、プレーヤーの育成、レベルアップのためにも力を貸そうと、翌月には合宿練習会(主催・関東学生ゴルフ連盟、後援・朝日新聞社企画部/8月18日〜19日、伊東GC)を実施した。 この企画には当代のアマチュアの第一人者・三好徳行(九州帝大出、昭和28〜30年・日本アマ3連覇)が参画し、熱心に学生たちの指導に当たった。

戦後初の学生大会となった朝日招待関東学生ゴルフ競技会には、慶應、早稲田、明治、立教、学習院、上智の6校から、女子2人を含む25人のプレーヤーが参加、36ホール、ストロークプレーの結果(午前の18ホールでトップから20打差までの14人が勝ち残り、 午後の決勝で18ホールを争った)、松本富夫(慶應)が166打で優勝、2位中部一次郎、3位松本昭男と、上位は慶應が独占した。 この大会はこの後、現在の関東学生ゴルフ選手権とタイトルを変えて引き継がれた。

この大会を追って、『読売招待全日本学生ゴルフ選手権大会』(主催・読売新聞社、後援・日本ゴルフ協会/8月31日〜9月1日、東京GC)が開かれた。 最近2カ月以内のベストカード2枚を提出した者の中から主催者が招待選手を決め、11大学の28人が参加した。 予選18ホール・ストロークプレーの上位8人がマッチプレーの決勝に進んだが、予選の上位5位までを慶應が占めた。 しかし、メダリストの松本富夫は決勝ラウンド1回戦で弟の松本昭男に敗れ、結局、余勢を駆った昭男が、慶應の高校生で決勝まで進んだ竹村元男を下して優勝した。

ちなみに、この時、学生の全日本組織はまだ存在していなかったため、読売新聞社が主催者となり、日本ゴルフ協会に後援を依頼した。 協会は後援を了承したが、条件として全日本学生ゴルフ連盟結成の支援を要請したが、読売サイドが動かなかったため、この競技会はこれ1回だけに終わった。 しかし、この大会は戦後初の”全日本”を名乗った学生大会として、学生ゴルフ史に1ページを刻んだ。


学生ゴルフの普及に情熱を燃やした朝日の植村さんと二宮さん

太平洋戦争が終わり、日本に平和が戻ってきた。

荒廃した国民の心を慰め、勇気付けたのはスポーツだった。 中等野球、六大学野球、プロ野球の再開、国民大会。

そこでアマチュアスポーツの普及に力を注いでいた朝日新聞は、学生ゴルフ競技のバックアップを手がけた。 関東の学生ゴルフ競技の開催には積極的に支援の手を差し伸べた。 経験の浅い学生ゴルフの指南番を担ったのが植村陸男さん(元朝日新聞運動部記者)と二宮順(同企画部)だった。 二人とも昔流にいうと『六尺を超える巨漢』で、植村さんは記者時代から”むっつあん”というニックネームで親しまれた。 仙台出身で、旧制二高時代はボートの選手で鳴らした根っからのスポーツマンで、ゴルフはもちろん戦前派だった。 ルールに精通していて作法に人一倍うるさかった。 二宮さんはアメリカ育ち。 ハウスの片隅の椅子にどっかと腰をおろし、些細なことは気にしない豪傑だった。

二人は戦後、再開された学生ゴルフの競技会場には必ず姿を見せ、時には雷親父ぶりを発揮した。 この時代の学生ゴルファーたちは、朝日の巨漢指南番に教えを受けながら知識をつけたのである。

《写真は、1953(昭和28)年、「第1回朝日招待関東学生ゴルフ協議会」の模様を伝える記事(報知ゴルフ誌から)》