昭和50年代に入ると、“打倒日大”の抵抗勢力として専修大学が浮上してきた。
1976(昭和51)年、脇田洋が関東学生で日大勢の10連覇を阻んで初優勝、羽川豊が朝日杯で初タイトルを獲得したのが手始め。
羽川は翌52年、関東学生にも勝ち、朝日杯は結局、4年連続優勝の偉業を立て、54年には日本学生のタイトルも手にした。
この羽川を主軸に専修大学は1977(昭和52)年秋の関東大学対抗でついに日本大学を抑え、54年の全日本学生リーグでも上昇の日本大学に土をつけた。
専修大学は玉川の向こう岸の川崎市生田にキャンパスがあった。 その隣が川崎国際CC。 現在、同大学のゴルフ部長を務めている岡村誠男、同じく監督の浜嶋照佳が学生時代、相談して、川崎国際CCでキャディをやりながら、ゴルフをさせてもらうことにして、ゴルフ場との連携でゴルフ部をたちあげたという、面白い歴史を持っている。
専修大学はもともと、卓球、スケートや東都大学での野球などが強いことで知られていたが、昭和の50年代に入って“スポーツ立国”を志したことがあり〔例えば、1980(昭和55)年レークプラシッド冬季五輪フィギュアスケート代表の渡部絵美を入学させている〕、羽川らの活躍で、重点競技としてゴルフもクローズアップされたことのようだ。 しかし、この専修大学の活躍もほぼ10年でかすんでしまい、平成に入ると、変わって東北福祉大学や日本体育大学の活躍がクローズアップされるようになる。
《1979(昭和54)年、第33回日本学生に優勝し、日大勢の6連覇を阻んだ羽川豊(専修)》