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西田、沼沢をはじめ学士プロが続出 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/12/20)

 日大王国が出現して以来の、ひとつの特筆すべき出来事は、“学生プロ”の輩出である。 この時代になると、アマチュア・ゴルフ界では、戦前このかたの主流であった上流名士に代わって、戦後にゴルフを学んだ若手が第一線を占めるようになった。 一方、プロの世界でもマーケットが広がり海外からもアーノルド・パーマー、ジャック・二クラス、ゲーリー・プレーヤーらの来日行事が毎年のように行われ始めた。 そうしたゴルフ界の状況変化が相まって、プロの社会的地位が向上しプロに対する差別意識も解消していった。 プロ野球などのように、ゴルフの世界でも、プロは「アマの手本になるような高度な技術者」として一般プレーヤーがあこがれ、尊敬する対象に変わってきたのである。

こうした時代を先取りして、いち早くプロ入りしたのは、先に紹介した奥津弘之(明治大学/昭和37年プロテスト合格)だったが、それから約5年を経て昭和40年代初頭以降からは、西田升平、沼沢聖一、片山康、山田健一、倉本昌弘、藤木三郎らの日大勢ばかりでなく、新井規矩雄(東洋大学出)、羽川豊(専修大学出)、三上法夫(明治大学出)、入江勉(関東学院大学出)ら、在学中に学生のメジャータイトルを取ったプレーヤーが次々にプロ入りした。

女子でも、先に触れた井福羽留子(日本大学)に次いで、関東女子学生、日本女子学生の2冠女王となった桝井芙佐子(慶應義塾大学)が、卒業して数年後の1968(昭和43)年女子の学士プロ第1号となった。 昭和51年の日本女子学生に高校2年で初優勝した小田美岐(京都・平安女子高)も大学(同志社大学)で日本女子学生を3度制覇、大学2年で日本女子アマのタイトルをとって卒業後、プロになった。

男子、女子を問わず、学生プレーヤーの多くは良家の子女として育ち、どんな一般企業への就職も可能であったかもしれないが、ゴルフが好きで、一度しかない人生で自分の能力を試そうと、学士プロの道を歩んだのだった。今では大学を出てプロになるのは、ごく普通のことになり、宮里藍(平成12年から日本学生を3連覇した、東北福祉大学出のプロ宮里優作の妹)のように、大学には進まず、高校を出てすぐ、プロツアーの大会で優勝するような逸材も出てきた。

《1967(昭和42)年、JGA強化合宿に参加した全日本女子学生の精鋭〔右から4人目・井福羽留子(日本)、左から2人目・桝井芙佐子(慶應義塾)〕》
《1976(昭和51)年、高校2年生で日本女子学生に優勝した小田美岐(平安女子高)。大学でも日本女子学生を3度連覇した。》

吉持も高校生で“学生で2冠”
 昭和47年、高校生で日本女子学生と関東女子学生の2冠を獲得し、のちにプロで活躍した吉持姿子(京浜女子高)がいる。 高校生で大学の大会にどうしてでられたのか。 すでに紹介したように、彼女の前にも東京では増永たい子、井福羽留子の例がある。増永や井福の場合は、彼女らが飛び抜けた力量を持っているし、女子学生の競技は全体的に出場者数も少ないことだし、『高校生といえども、出場を認めてもいいのでは・・・』という関東学生ゴルフ連盟や関東ゴルフ連盟の役員の意見に基づき、吉持の出場が実現したようだ。

また、吉持の場合は当時、関東学生ゴルフ連盟の規約第1条に「高校ゴルフ連盟傘下に置く」と定められており、学生委員の中に高校連盟の担当者を置いていた。 そのような事情から、担当委員の判断で吉持の出場が認められたと考えられる。 ただ、この件について文書資料は残っていない。 昭和49年に至り、当時、高校ゴルフのリーダーシップをとっていた堀越学園と関東学生ゴルフ連盟との間で、組織のあり方をめぐって解釈の違いがあり、結局、以後、高校は独立して活動を行うことになった。

《1972(昭和47)年、高校1年生で日本女子学生と関東女子学生を制覇した吉持姿子(京浜女子高)》