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戦後の学生ゴルフ復活ー西で成宮、東で金田 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/05/30)

 日本の学生ゴルフは太平洋戦争によって壊滅的な被害を蒙った。スポーツ界全体がそうであったように、ゴルフもコースは食料増産のために芋畑やかぼちゃ畑になった。

金田武明(早稲田大学)がゴルフに思いを傾け始めたのは昭和26年頃。町はまだ、戦争の余韻が残り、食料も不足し、ゴルフ用品なんて無かった時代だ。そんな困難な時代に、学生ゴルフを復活させようと提唱したのは勇気のある行為だった。

 金田は学生ゴルフの復活、同時に学生ゴルフ連盟の復興も計算に入れて活動を広げた。 組織の草案作り、競技者として競技に参加したりの金田は一人で何役もこなした。 早稲田を卒業して米国に留学した。 さぞかし、ゴルフ三昧だったろうと思われ勝ちだが、実はそうではなく、勉学とゴルフを明確に区別していた。留学中の唯一のゴルフの足跡といえば1956(昭和31)年、マスターズトーナメントを観戦してその観戦記を朝日新聞に寄せたことくらいだ。 学生とは思えない冷静な目で競技を眺め、優勝したJ・バークと次点になったK・ベンチュリの争いを記事にした。 社会人になってからは日本アマ、関東アマに出場する常連だった。 そんな経験を積み重ねてコース設計の分野に進出している。

アマチュアの大御所だった赤星六郎のように、競技者からアーキテクターになったごとく、金田も同じ道を歩いている。

これまで、学生ゴルフ界に直接関係のないことがらについてスペースを割いてきたのは、戦争がゴルフ界にどんな”人災”を与えたのか、また、そうした受難の時代にあっても、 関係者有志が私心を捨てて、自分たちの愛するスポーツを守り、育てようと努力してきたか、その歩みを少しでも知ってもらいたかったからである。

戦後、京都に進駐してきた米軍から強い希望が出たため、安達建設(安達貞吉社長)が新コースの建設に当たったが、この時、 この京都ゴルフ倶楽部と深い関係があったのが、関西の重鎮といわれた成宮喜兵衛(昭和7年日本アマ優勝)。 もともと若い人の育成に深い関心のあった成宮は、コースが完成(昭和23年7月31日開場、8月JGA加盟)すると、プレーの場所に不自由している学生たちの便宜を図ってやった。 そこでこのクラブが核となり、昭和26年7月には、関西学生ゴルフ連盟(成宮が会長に)が結成された。

《写真は、戦後の学生ゴルフを育てた成宮喜兵衛氏と談笑する金田武明氏(右)》