秋のシーズンを迎え、1997年10月の朝日杯争奪全日本大学生選手権(鳥山城CC)で東北福祉大学の星野英正が初優勝した
丸山茂樹以来、高橋竜彦と続いた日大勢の優勝を食い止めたが、これが東北福祉大学を大きく飛躍させる弾みになったのはいうまでもない。
だが、信夫杯争奪全日本大学対抗選手権は日本大学が25連覇という大記録を作った。
四半世紀にわたって勝ち続けたわけである。
この年から朝日杯に女子が加わり、韓熙圓(龍谷)が優勝した。 1998(平成10)年3月の関東学生ゴルフ連盟常任理事会で、懸案事項だった各ブロック入れ替え戦の廃止が決まった。 これによって各ブロック優勝校は自動的に上位ブロックに進み、各ブロック最下位校は下位ブロックに落ちることが決まった。
この時代になって関東の日本大学、東北福祉大学の二大勢力が拮抗した力をつけて大学ナンバーワンの座を狙った。 東北福祉大学の大頭は目覚しいものがあった。 その顕著な例は、5月の関東大学春季Aブロック対抗戦に現れた。 星野英正をエースに、谷原秀人といったジュニア時代から注目されてきた優秀なゴルファーが主力になり、バランスの取れたチーム力を発揮して日本大学の16連覇を阻んで注目された。 Aブロックで宿願の初優勝をとげて関東の大学のナンバーワンの座についたのは偶然ではなく、優秀なジュニア出身者たちが東北福祉大学に入ることにあこがれたというほど注目される存在になった。 一方では専修大学が日本大学、東北福祉大学に肉薄する力のあるプレーヤーを揃えた。 専修大学はこの年の7月、関東学生選手権に近藤智弘が勝ち、日刊スポーツ杯関東女子学生選手権で、西川みさとが2連覇を達成している。
だが、秋の第44回信夫杯で新進の東北福祉大学は日本大学の26連覇を阻む大波乱を巻き起こした。 信夫杯はこの年、36ホールの競技になり、日本大学の26連覇は固いと予想されていた。 事実、ゲーム展開は日大優位に展開していた。 しかし、この時代は1日、18ホールの競技に慣れていた。 ここに日本大学の落とし穴があった。 スローペースでゲームは進行したが、夕闇迫る頃、東北福祉大学がトップを走る日本大学を急追した。 終わってみれば東北福祉大学の大波乱で幕を閉じ、東北福祉大学の阿部監督は星野以下、チームのメンバーたちから祝福の酒ならぬジュースを浴びせられる手洗い祝福を受けた。
《写真上》1998(平成10)年7月、関東学生で日大勢の9連覇を阻止して優勝した専修大学の近藤智弘、左は関根宏一理事