関東で動き出したのは、早大の学生でゴルフ部の金田武明(昭和35年・世界アマ代表)だった。
父親譲りのプレーヤーだった金田は、関東学生ゴルフ連盟の再建を視野にいれ、まず京浜地区在住の学生仲間に呼び掛けて、同好会を結成した。
そして、運良く進駐軍の接収を免れた相模カンツリー倶楽部の好意で会場を借り、昭和27年末から定期的に研修会を始めた。戦前からゴルフ部を持っていた大学の学生が続々と参加するようになり、これを契機に慶応をはじめ、早稲田、明治、上智、立教、学習院などゴルフ部が活動を再開した。
研修会では戦前、学生ゴルフで活躍した原田盛治(東大出、昭和14年日本アマ、日本学生優勝)、隅田眞吾(慶応大出、赤星四郎の女婿)などのOBが指導に当たった。
この研修会は1953(昭和28)年3月をもって終了(最後の研修会は金田武明が優勝)し、同好会はいよいよ関東学生ゴルフ連盟の再結成へ向けて動き出すことになる。 これには慶応OBの隅田、早稲田OBの小川浩正らが指導的な役割を果たした。
関東の各大学代表が、この年2月、朝日新聞社(当時、東京有楽町駅前)に集まり、結成のための競技会を開催し、7月1日に同所で発会式を行うことにした。
発会式は予定通り開催され、『関東学生ゴルフ連盟』がスタート。
会長は加盟各校の学長が輪番で務めることを決めた上で、席上、連盟の目標として、
(1)技術の向上
(2)真のスポーツマンシップを学び、学生生活をより豊かにすること
(3)ホームコースを持たない人々、技術の未熟な人々に十分、練習の機会が与えられるよう務め、立派なゴルファーを出す
などが揚げられた。
関東学生連盟は関西に2年遅れでスタートしたことになる。
本連盟の誕生に当たりて
終戦後の我国ゴルフ界を顧みますに、昭和25年、6年頃には、早くも戦前以上とも云われる程盛んになったようです。
昭和26年、学生間では早稲田大学の金田武明氏を中心とする関東学生ゴルフ同好会が出来て、京浜地方在住の学生14,5名が時々集まり、競技会を行うに至りました。 そして翌27年4月頃より、慶應義塾大学を初め、早稲田、上智、立教、明治、学習院の各大学に相ついで学生ゴルフ部が生まれ、その後、早大の金田武明氏、 慶大の永田竜太郎、嘉納忠夫の両氏を中心に関東学生ゴルフ連盟の設立が相談されました。 結局昭和28年2月26日、学習院、上智、明治、立教、早稲田、慶應の各大学代表が朝日新聞東京本社に集まって第1回の設立協議会を開き、 更に石井光次郎氏、小西酉二氏を初めとして我国ゴルフ界の多数先輩の方々による御援助御指導と、朝日新聞の御斡旋により、愈々昭和28年7月1日、 朝日新聞東京本社講堂において関係者多数列席の下に正式に発会式を開いた次第であります。 そして本連盟の会長は、他の学生スポーツ連盟と同様、加盟校学長先生の輪番就任制を採ることとし、初代会長に慶大学長潮田江次先生を推戴しました。 続いて同年非公式ではありましたが、学生東西対抗、全日本学生ゴルフ選手権、関東学生ゴルフ選手権、その他、種々のトーナメントを行いました。
我々はここに増々連盟員の技術の向上を計ると共に、学生ゴルフを通じて、真の意味におけるスポーツマン・シップを学び、各人、及び各学校間の親密さを増し、学生生活をより豊かに致したいと思います。 更に、連盟員の中の大部分をしめると思われる所謂ホーム・コースを持たない人々や、技術の未熟な人々にも十分に練習の機会が得られるように努力し、1人でも多く立派な学生ゴルファーを出したいものと考えております。 結局これ等のことがわが連盟の最終の目標であろうと思います。
斯界の諸先輩におかれましては、我々の微意を御汲取りの上、宜敷く御指導御鞭撻下さいますよう、ここに御願い致します。 先輩の方々は勿論連盟員の諸兄姉にも、本連盟の活動等につき御気付きの点は、何なりとも御遠慮なく委員まで御申出下さい。 我々は先輩、連盟員、関係者一同打って一丸となって、本連盟の健全な発展を計られんことを念願してやみません。
ここに、本連盟の揺籃期において特に御尽力下さった小寺酉二氏に対し、本連盟員の技術の向上に御指導下さった三好徳行氏に対し、また本連盟の結成に御斡旋下さった朝日新聞社に対し、深く御礼申上げます。 更にまた我々を御激励御指導下さった先輩諸氏に対しても、深謝申上げると共に、向後倍旧の御鞭撻を頂きますよう、重ねて御願致す次第であります。