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更新日(2012/08/20)
こうした状況下で思い悩んだ末に、全日本学生ゴルフ連盟はJGAに「コース確保が困難であることと、朝日新聞が手を引いたことによる資金難が響いて自力主催がむづかしいので力を貸してほしい」と懇請した。 1959(昭和34)年春のことである。 JGAは、石井光次郎会長(JGAは昭和32年から理事長制を廃止、会長制に)が学生連盟の会長を兼ねている関係もあって、理事会に諮った結果、主催権を引き継ぐことを了承。 この年の日本学生選手権(8月24〜27日/霞ケ関CC西コース)から、学連に代わって主催することにした。 関連して、優勝カップはこれまでの朝日新聞社寄贈のものを引き継ぐことにしたが、大会タイトルはJGA方式にならって『全日本〜』から全を取り『日本学生選手権』に変更。 また競技方式も日本アマ同様、決勝ラウンドには16名進出、準決勝と決勝は各36ホール・マッチプレーに改めた。 昭和が30年代に入っての、もうひとつの学生界の動き、それは女子に公式競技の扉が開かれたことだった。 日本女性の“ゴルフ事始め”は、神戸・六甲山上に英人アーサー・ヘスケス・グルームが本邦最初のコースとクラブを立ち上げた、20世紀初頭にまでさかのぼることができる。 しかし、戦前はコースの数もきわめて限られており、今日のようにだれでもが気軽にプレーできる時代ではなかったため、女子プレーヤーのための競技は関東、関西の東西対抗が知られている程度だった。 しかし、戦後、”男女同権”といわれる時代の到来とともに事情は一変、夫婦そろってプレーを楽しむ家庭が増えた。 一方では、男子学生ゴルフのスタートの項で説明したように、“ファミリー・ゴルフ”でクラブを振ることを覚えた娘たちが成長してきた。 こうした時代の動きをとらえ、1953(昭和28)年には、読売新聞社が『全日本女子ゴルフ大会』を始めた。 この大会はJGAが1959(昭和34)年に『日本女子選手権』を主催競技として創設するまで続いた。 昭和29年には『関西婦人選手権』が、30年には『関東女子選手権』がそれぞれスタートした。 また、JGAは女子プレーヤーの強い要望を受け入れ、昭和35年には組織内に『女子委員会』(委員長・三井栄子)を設置した。 学生界でも、実は詳しいことはわかっていないが、すでに1953(昭和28)年に『第1回朝日招待関東学生ゴルフ競技会』が行われたとき、エントリーした26人のプレーヤーの中には女子が2人いた。 男子に伍してプレーできる自信があったのだろうと思われる。 昭和30年代に入ると、いくつかの大学では女子のゴルフ部員も認めるようになってきた。 昭和33年には慶應と成城が新川崎ゴルフ倶楽部で対抗戦を実施した。 親善マッチだったが、これが関東での女子学生の競技の第1号ということになる。 その年の暮れには連盟で女子競技会開催の可能性が討議された。 そうした流れの中で、1959(昭和34)年、東京中日新聞(現東京中日スポーツ)が後援する『東京中日新聞杯争奪関東女子学生ゴルフ競技会』(関東学生ゴルフ連盟主催)が誕生し、春秋の年2回開催された。 支配人のご理解を得て、東雲GC(現在の有明テニスの森あたり)を借りることができ、3月31日、6校19人のプレーヤーが参加した。 この日本初の女子学生ゴルフ・トーナメントは27ホールのストローク・プレーで行われ、ただ1人の高校生だった増永たい子(慶應高)が2位に8打差をつけて優勝した。 当時はまだ女子の力というものが十分に知られておらず、また、プレーが遅いというようなことがいわれており、コース側がそのことを心配したため、男子学連が各組に1人ずつ付き添い、適切な指示をした、という笑い話のようなエピソードも生まれた。 増永たい子は歌手・藤山一郎(本名・増永丈夫)さんの令嬢で、熱心なゴルフ愛好家でもあった両親に育てられ、当時の女子学生としては抜きん出たプレーヤーで、この年の秋を除き、35年、36年、37年の春秋大会をいずれも連続制覇。 大学の最終学年となった昭和38年の関東女子学生選手権の創設大会にも優勝、有終の美を飾った。 続いて1961(昭和36)年9月には『関東女子大学対抗戦』が始まった。 第1回は10校39人が参加して大利根CCで開かれ、慶應が初代の女王校となった。 やがて、加盟校が増えてきたため、1969(昭和44)年から参加17校をA、Bブロックに分け、これまで開催して来た関東女子大学対抗戦に代わって春秋2季制で行うこととした。 ![]() ![]() 《写真上》 1959(昭和34)年、日本ゴルフ協会主催となった日本学生選手権の表彰式風景(挨拶するのは副会長の野村駿吉氏) 《写真下左》 1959(昭和34)年、「第1回東京中日新聞杯争奪関東女子学生ゴルフ競技会」に優勝した増永たい子を囲んで 《写真下右》 1962(昭和37)年、第2回関東女子学生対抗戦で2連覇を達成した慶應義塾大学チーム(左から増永、松本、馬越、藤浦=いずれも旧制)
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