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運営の変動 機関紙の登場/セルフバッグ制/損害保険への加入 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/12/30)

 昭和40年代から50年代にわたっては、学生ゴルフの進展とレベルの向上等にともなって、学連の運営、競技の運営などにも、いくつかの変動があった。

まず、伝えておきたいのは1967(昭和42)年6月、関東学生ゴルフ連盟で初の機関紙『学連月報』が発行されたことだ。時の委員長・藤野雅彦の発案でタブロイド版4ページ。 諸先輩にお礼の意味での活動報告として考えたという。 ただ、資金的な問題、それに、ずぶのしろうとがこの種のものをジャーナリストティックな感覚でまとめていく、との困難さもあって、発行は数号で終わった。 その後、1972(昭和47)年になって、やはり機関紙として『スクラッチ』が発行された。 これも長続きしなかったが、1990(平成2)年に3番目の本格的機関紙『KSGA』が登場、現在に至っている。

このころからも学生も社会意識に目覚め、自主性が芽生えてきた。 1970(昭和45)年には学連内に『競技委員会』制度を設け、これまで“大人”に頼っていた競技運営を自分たちでやっていくことにした。 すでに紹介したように、昭和47年には自前の連盟事務所を南青山のマンション内に置くことができた。

一方では、1975(昭和50)年3月の連盟定期総会で学生の競技を開催するコースの借用が困難になってきている状況が報告された。 その背景に、学生ゴルファーの態度が悪いことがあるのではないか、ということが指摘され、「学生ゴルフは一般ゴルファーの範となるべきこと」を再確認した。 また、これに先立ち、昭和48年4月には学生の競技は今後セルフバッグとする方針を決め、同50年4月の総会で、この年から実施した。それまでは、プレーヤーの同僚がキャディーとしてバッグを担いでいた。

 昭和54年の学連定期総会では、組織強化のために、もっと先輩各位の意見をとり入れるほうがよい、ということで、専門委員制度の導入を決めた。 このころは連盟の運営費をカバーするため、学連のメンバーが企業スポンサーのプロ・ゴルフ競技に運営の補助役員アルバイトをして、『協力費』の名目で資金援助を仰いでいた。 こうしたことも記憶にとどめておいてよい。 また、この年の総会で連盟員全員を対象にした損害保険に加入することにも決まった。 万一の用具の破損や事故などに対応するためで、これも時代の流れであった。

関東学生ゴルフ連盟は、戦後の1953(昭和28)年、復活再発足して以来、会長職は加盟大学の総長・学長が持ち回りで務めることになっており、会長職としては初代の潮田江次・慶應義塾塾長に次いで、大浜信泉・早稲田総長が引き継いできた。 しかし、加盟校が著しく増えてきた上、会長はゴルフ界の実情にも精通する必要に迫られてきた、などの現実にかんがみ、この“伝統”にこだわらないこととし、1980(昭和55)年には細川護貞氏(日本ゴルフ協会・前会長)、次いで近衛通隆氏(元首相・近衛文麿公爵二男)、1985(昭和60)年には松本富夫氏(昭和29年日本学生チャンピオン、慶應大学出)と、次々に斯界の大先輩を会長に推戴した。

《学生が中心となって編集されてきた機関紙(誌)。『KSGA』は今も年4回発行されている。》