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倶楽部競技から締め出された学生ゴルフ 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/11/10)

 昭和32年、日本で初の国際競技『カナダカップ』が開催されて以来ゴルファーが急増し、ゴルフ場の数も年々増え続けた。 各コースでは倶楽部競技が盛んに行われたが、当時の学生ゴルファーたちは倶楽部主催の競技から締め出された。 昭和30〜35年頃がピークだった。 38年には関西アマチュア選手権に甲南大の中部銀次郎(故人)が、関東アマチュアには広瀬義兼(関学出)がそれぞれ勝ち、学生ゴルフは日本のゴルフの主流にのし上がったが、学生ゴルフに対する風当たりは依然強く、会員制の倶楽部競技は学生ゴルファーの参加を拒み続けた。 一般の声は『ゴルフは個人技、若いうちは動きの激しい団体スポーツを体験して体を鍛えろ』だったからだ。 だが、会員である以上、当然の権利として倶楽部競技に参加できる。 ようやく解禁の動きが出たのは、昭和36年頃だ。 千葉CCが『学生ゴルフは次世代の日本のゴルフ界を背負う』と容認して、『学生ゴルファーたちは倶楽部競技参加を認めたもらえた』(会員の牛込公一郎=早稲田)のを皮切りに、学生ゴルファーの倶楽部競技参加を容認する動きが出始めた。 昭和34年、相模原GCでは田中誠(法政)、谷田穣(同=故人)らの活躍が目立ち、田中は倶楽部選手権に勝った。 これが引き金になって関東学生シングル研修会の発足を見た。 関東勢は日本学生のタイトルを4年連続で関西勢(大橋一元=甲南、猪原一雄=甲南、蒲生雄之輔=関学、三由和明=同志社)にさらわれ、タイトル奪還の気運が高まり、この研修会誕生のきっかけになった。 その成果は昭和36年、小室秀夫=明治が5年ぶりの関東のタイトルを取り戻して表れた。