アマチュア東西対抗ゴルフと学生ゴルファー |
番組名:学生ゴルフの足跡 |
更新日(2012/09/10)
昭和2年創始のアマチュアゴルフ東西対抗競技は昭和2年以来、戦前、戦後を通じてしばらくは学生ゴルフの出番はなかったが、昭和33年頃に至って学生ゴルファーに出番が回ってきた。
それまでの東西対抗戦は、いわゆる大人の競技だった。
昭和33年の大会は広野ゴルフ倶楽部で開催され、現役学生の大橋一元(甲南大)と卒業間もない石本喜義(同)が関西チームの一員で登場した。
一方、関東からは社会人になったばかりの松本富夫(慶應)が出た。
戦績は大橋、松本はダブルスはおのおの引き分けたが、シングルスは黒星だった。
石本だけがシングルスでアマチュア界の大御所、鍋島直泰に土をつける殊勲を立てた。
こうして学生の活躍がきっかけになり、学生ゴルファーにも出場の機会が巡ってきた。
これは学生ゴルファーの実力が向上したことを裏付ける。
しかし、東西対抗は昭和45年の大会を最後に中止された。
東西対抗の代表に選ばれることはアマチュアゴルファーにとってはステータスになったが、代表の選考を巡ってトラブルが続出、アマチュアゴルファーがこの競技に対する情熱を失ったことから主催者の日本ゴルフ協会は中止を決めた。
《昭和45年の最後の東西対抗競技に出場したメンバーたち》
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