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学士プロ第1号は明治の奥津 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/10/20)

 昭和37年10月、当時20歳だった明治大学の奥津弘之が、関東プロゴルフ協会のプロテスト競技にトップで合格を果たした。 戦前のこのかた、ゴルフのプロはキャディー出身だった。 アマ・プレーヤーのラウンドの”お供”をしながらマナーを覚え、プレーを身につけ、プロとなった。 したがって、クラブハウスにも出入りできないなど、ジェントルマンであるアマとは差別された時代が続いていた。

いまでこそ学生出身のプロは珍しくもなんともないが、その当時ネクタイを締めたジェントルマン階級の人がプロの世界に登場したのは画期的なことだった。 奥津はこの時まだ在学中で(2年生)学士号は持っていなかったが、3年後に晴れて“学士プロ”の第1号となった。 奥津はいまも箱根カントリー倶楽部に所属している。 この奥津をはしりとする学生出身者のプロ参入は、以後のプロゴルファーの地位向上に大きく奇与した。


学士プロ第1号の奥津の出現

いまでこそ大学出のプロゴルファーは珍しくないが、戦後、日本の近代ゴルフが普及し始めた時代のプロは大半がキャディ出身者だった。 日本のゴルフ史の上の学士プロの出現は、1962(昭和37)年10月のことだった。 関東プロゴルフ協会主催のプロゴルフテスト競技が同年10月26日、箱根CCで行われた。 参加者は32人。 この中に明治出身(昭和35年卒)の奥津弘之がいた。

奥津は箱根の出身で箱根CCと縁が深く、大学ゴルフ部に在籍し、ここでアルバイトをやっていた。 師匠はプロの勝俣大三郎さん。 テスト競技を2位で通過した奥津は『これでやっとプロになれた。 10年くらいは競技に専念し、それからレッスンプロに進みたい』と語っていたが、現在も箱根CCに籍を置くプロとして会員のレッスンに励んでいる。

ちなみに、この時のテスト競技で11人の新しいプロが誕生したが、日本プロなどに優勝している河野光隆が含まれていた。 学生プロはその後、学生ゴルフで活躍した日大出の西田升平、沼沢聖一、山田健一、早稲田出の松木、立教出の城村克身らが続いた。