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更新日(2012/07/20) 学生ゴルフの支援にゴーサインを出した朝日新聞社の信夫韓一郎は、大学対抗戦はスポーツの原点という考えから、ゴルフも個人戦とは別に対抗戦として『信夫杯争奪全日本大学対抗ゴルフ選手権』を創始した。 昭和30年10月のことである。 アメリカの大学スポーツは個人戦よりも対抗戦を重視している。 それは母校を愛する精神が対抗戦によって涵養される、と見ているからだ。 信夫もこうした考えを重視しており、優勝校に授与するカップには、発案者である信夫の名を冠としてつけた。 創設大会は10月29日、東西11大学が参加、我孫子GCで開かれた。 1チーム6人が出場し、36ホール・ストロークプレーのベスト4合計で優勝が争われ、甲南がトータル684打で、慶應に8打の差をつけて初代のチャンピオン校となった。 なお、この年10月には、戦前の名門校・東京大学にゴルフ部が復活した。 信夫韓一郎氏のこと 昭和30年、当時の朝日新聞社代表取締役専務・信夫(しのぶ)韓一郎氏の名前を冠して創設された「信夫杯」。 アマ・プロを問わず、公式競技の大会に個人名を付けるというのは極めて希有なことである。 剛毅果断にして緻密な信夫氏は、傑出した新聞人として、また事実上の経営トップとして、戦後の朝日新聞社の再建に大きな足跡を残した。 そして昭和35年、惜しまれながら60歳でさっさと勇退した。 潔い爽やかな人柄でもあった。 ゴルフへの熱中ぶりは桁外れだった。 早朝から日没まで3.5ラウンドとか、午前と午後にゴルフ場を替えてハシゴしたとか、この種の話を数え挙げればキリがない。 プレーぶりも型破りだった。 球に近づくや否や、クラブをろくろくソウルもせず、電光石火の早業で打つ。 小さな振りだったがよく飛んだ。 長身で腕力が強かったとはいえ、やはり天性の勘の良さというしかなかろう。 このように天衣無縫に見えて、実は一面シャイというか、信夫氏は表立ったことを極度に嫌った。
たとえば、社の行事などで大勢を前に挨拶するのをいやがり、いつも関係局部を手子摺らせていた。
にもかかわらず、朝日企画部が発案した「信夫杯」の命名は、何の曲折もなくスンナリ採択されたのである。
このことは、ゴルフへの限りない愛着と、学生ゴルフへの期待をこめた、信夫氏の無言のメッセージに他ならない、と私は思う。
《写真は、信夫 寛一郎氏》
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