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女子も振興勢力の台頭で戦国時代へ 対抗戦では9大学がタイトルとる 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2013/01/10)

 連盟加盟校も次第に増加し、昭和48年の49校から、1976(昭和51)年には53校、1978(昭和53)年には55校となった。 加盟校の増加につれて主要競技会の優勝戦線も戦国時代の様相を呈してきた。 男子では昭和50年代に入って、専修大学が日本大学の独走に“待った”をかけ始めたばかりだったが、女子ではそれより早く、1969(昭和44)年、関東女子学生選手権に青山学院大学の加藤節子、翌45年には日本女子大学の皆川智子が優勝して、老舗の慶應義塾大学からタイトルを奪った。

この新興勢力の台頭は一過性のものではなかった。 昭和46年の関東女子学生選手権ではやはり青山学院大学の渡辺実枝子が東中杯、関東女子学生、日本女子学生の3冠制覇を成し遂げ、同1973(昭和48)年に成城大の荒川万寿が3冠をとった。 翌49年には聖心女子大学の渡辺智都子が最後の東中杯に優勝を決めている。 日本大学勢の勃興は男子に比べて遅く、関東女子学生では井福羽留子の4連覇から9年たった1976(昭和51)年、木下真理子によってようやく記録された。史上3人目となったのは宮沢晴代で、1980(昭和55)年に関東女子学生、日本女子学生を制し、のちプロとなった。 このあと中田朱美が59、60年と2連覇。 61年に喜多麻子が勝って日大は3連覇。 62年からは専修大学の文平友恵が3連覇、専修大学2人目の関東女子学生チャンピオンになるとともに、3連勝目で平成最初の優勝者としての名を刻んだ。

 昭和54年、湯原光葉(青山学院大学)が、1年生で優勝した後、3年後の1982(昭和57)年には日本女子学生と併せ2冠を獲得。 2年後の昭和59年には吉村雅江が日本体育大学学生として初のタイトルを得た。 一方の関東女子学生対抗戦では、昭和46年秋に明治学院大学が史上初優勝。 47年秋から50年春まで成城大学が春秋6連覇。 51年秋から53年春まで日本体育大学4連覇。 慶應義塾大学が54年から春4連覇、56、57年と秋2連覇した。 このあと日大が1984(昭和59)年春、および60年から63まで春秋8連覇を記録、昭和時代のフィナーレを飾った。

結局、昭和44年から昭和63年の20年間に個人戦(関東女子学生/日本女子学生)のタイトルをとったのは7大学、団体戦(関東女子学生対抗)では9校に及んだ。