Golferweb
■■ ゴルフ情報総合サイト ■■
ゴルフを楽しむコンテンツが満載!
 アプリ/コンペはリビングで参戦!
KSGA加盟大学の方へお知らせ
 


このコラムの他の記事
ペナルティの正座は、今でも怖い
日本体育大学の長すぎた春
今日も元気だ、ゴルフが楽しい
関東女子学生選手権に東北福祉大学からチャンピオン
学生らしさの追求
単位制度の導入と通信教育学部学生
東北福祉大学飛躍の引き金になった星野英正の出現
文武両道を貫く連盟
スロープレー追放で学生ゴルフの存在をアピール
日大勢が全日本大学対抗で15連覇
マッチプレー選手権は学生ゴルフ出身者の独壇場
関東学生ゴルフ連盟の季刊誌が刊行される
アジア大会で丸山茂樹(日大)が金メダル
昭和から平成へ
昭和天皇のゴルフと崩御
石井前会長が死去
テレビ・イベントも登場
文部大臣杯も始まる
日本学生ではマッチプレー廃止
エンブレムを良き思い出に残す村田修(関東学院大学OB)
女子も振興勢力の台頭で戦国時代へ 対抗戦では9大学がタイトルとる
運営の変動 機関紙の登場/セルフバッグ制/損害保険への加入
西田、沼沢をはじめ学士プロが続出
打倒日大”へ専修大学、名乗りを上げる
日大時代の到来ー学士プロも続々登場
ご成婚記念パレードに参加
倶楽部競技から締め出された学生ゴルフ
学士プロ第1号は明治の奥津
中部、学生タイトルより早く日本アマを制す
全日本学生ゴルフリーグ戦を創設
アマチュア東西対抗ゴルフと学生ゴルファー
関東女子学生選手権、日本女子選手権、相次いで登場
学生選手権はJGA主催に、女子競技も始まる
カナダ・カップを開催、国際交流動き出す
全日本学生ゴルフ連盟の結成
信夫杯争奪全日本大学対抗始まる
サッカーと野球の花形選手が関東学生ゴルフ選手権を争った
東西交流も活発化
全日本学生選手権も復活へ
朝日新聞社が支援に登場
関東学生ゴルフ連盟が再発足
戦後の学生ゴルフ復活ー西で成宮、東で金田
KGU、KGAが再発足 JGAも再スタートへ
敗戦から復興へーゴルフ場も「占領下」に


全日本学生ゴルフリーグ戦を創設 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2012/09/30)

 全日本学生連盟主催行事では、もうひとつ1964(昭和39)年に改革があった。 これまでの東西対抗は、どちらかというと”親善色”が強く、学生ゴルフの輪が全国的に広がってレベルも上昇してきたこの時期には、より競技力の向上につながるイベントが望ましい、という考えから、これに代わり、学校対抗の『全日本学生ゴルフリーグ戦』を創設した。 東西各3校が出場しての総当たり戦で、1対抗は各18Hマッチプレーによるシングル8、ダブルス4の計12ポイント争奪で勝敗を決めた。 会場コースは東西交互に持ち回りとし、第1回、第2回は関東の古豪、慶應義塾が連覇したが、以後は後述のように日大の独走時代が始まる。 大会名称は第30回(1993/平成5年)からはストロークプレーによる『全日本大学ゴルフ対抗戦』となり、さらに第40回(2003/平成15年)からは『全国大学ゴルフ対抗戦』(参加12校)に変わっている。

また、関東学生ゴルフ連盟では昭和38年に『関東学生ゴルフ連盟会長杯競技』を新設した。 これは日本オープン、日本プロ、関東・関西のプロ選手権勝者などを集めて行っていた『日本シリーズ』にならい、学生界ビッグゲーム(東京中日杯、関東学生、朝日杯全日本学生、日本学生)の勝者など学生界のベストプレーヤー15人を選んで競った。 ただ、残念なことに第7回(昭和44年)までの記録が現存せず、この間に大会は『会長杯争奪関東学生ゴルフ新人戦』と変わってしまい、詳しいことが不明なのは残念だ。 競技方法も当初の27Hストロークプレーが、第26回大会1988(昭和63)年からは18Hストロークプレーに短縮されて今日に至っている。

戦時中、休眠状態にあった関東学生ゴルフ連盟は、戦後の1953(昭和28)年に復活した。 しかし、事務局を持つだけの財政状態にないため、歴代委員長の連絡先(自宅)等を事務局代わりとして、細々と運営されてきた。 戦後いち早く学生ゴルフの支援に乗り出した朝日新聞社が「これでは不便だ」と、1962(昭和37)年1月、同社企画部内に学連事務局デスクを置くことにしてくれた。

このため学連としての運営能率は一躍、向上したものの、1年ごと役員が変わっていく学生組織では、一般団体のようにはいかず、登録資料や議事録、競技会記録さえ整備されないことが多かった。 そのため、時に詳しいことを知り得ず、この年史の編纂にも不便を感じることが少なくないが、朝日社内に事務局が置かれた年(昭和37年)当時の関東学連登録競技者は1,500名を超えた。 これは同年4月のゴルフ雑誌に載った新聞の切り抜きにあったものだから、当然、新聞のニュースソースは学連であろう。 一説によると、学連の登録者数は最盛期で約2,000人というから、昭和37年の1,500人は、かなりのものということができよう。

ちなみに、もう少し時代が下がって、日本が世界第2の経済大国などといわれるようになってからは、学生の多くは規律や練習が厳しく、公式競技の数も多い“部活”を嫌って、自由にスポーツを楽しむ“同好会”に流れるようになった。 少子化傾向もこれに拍車をかけたため、ゴルフの場合も登録者は逆に減少するようになり、現在は70校、約994人となっている(平成17年12月末現在)。

ついでに付言すると、学連事務局は10年後の1972(昭和47)年、はじめて自立して、港区南青山2−5−3(青山中央マンション506号)に自前の事務局を設けた(昭和56年まで)。 その後、麹町〜神田神保町〜水道橋西口と移り、現在地(千代田区三崎町3−9−3・チヨダビル4F)となった。 データ、資料も完備、専従職員を置き、堂々たる事務局体制である。