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更新日(2012/11/30) 昭和40年代の到来とともに、日本大学勢の快進撃が始まった。 初タイトルは、1965(昭和40)年11月10日、箱根CCで行われた第11回信夫杯争奪全日本大学対抗戦。 老舗の慶應義塾を下して団体優勝を飾ると、引き続いて同コースで開かれた朝日杯争奪全日本学生で、西田升平がこの年の関東学生チャンピオン、島崎正彦(早稲田)に2打差をつけて優勝した。 この年、2冠を手にした日大は翌41年、今度は5月の全日本学生リーグ戦、11月の信夫杯、10月の関東大学秋季リーグ戦と3つの団体戦を制したほか、8月の日本学生では沼沢聖一が優勝して、日大選手として初の学生ナンバーワンとなった。 西田、沼沢を2枚看板とした日大勢は、さらに昭和42年には全日本学生リーグ戦、信夫杯、関東大学の春秋リーグ、個人戦でも日本学生と関東学生を西田升平が制し、朝日杯はチームメートの片山康が優勝し、年間の主要7タイトルを独占してしまった。 ここまで来れば、もう日大の力に疑問を抱くものはいなかったろう。 明らかに”日大時代”という新しい流れが始まったのである。 竹田昭夫監督(元関東学連理事)が“母校のため”というスローガンを掲げ、学生に競技者としての使命感、価値観を植え付けるのに成功し王国を築き上げた。 次々に驚異的連勝記録を樹立 (1)信夫杯が1965(昭和40)年から7連覇のあと、昭和47年に、いったん関西の雄・甲南大に王座を譲ったが、その後、昭和48年から1997(平成9)年まで25連覇し、通算32勝。 (2)全日本学生リーグ戦は昭和41年から13連覇、1979(昭和54)年には専修大学に敗れたものの、以後15連覇、1995(平成7)年に近畿大学に敗れたあと同96、97年と連覇し、通算30勝。 (3)関東学生リーグ戦(昭和50、51年春季の連盟記録が不明なので、その2回を除く)は41年秋に始まり、1998(平成10)年秋までの間に、春に1回(昭和57年、優勝・専修大学)と秋に3回(昭和43、46年/優勝・慶應義塾大学、および昭和52年/優勝・専修大学)タイトルを逃しているが、通算では春28勝、秋30勝した。 一方、個人競技では団体戦のような驚異的な連勝はできなかったが、昭和40年の西田升平の朝日杯優勝に始まり、日本学生、朝日杯、関東学生の3大タイトルで見ると、日本学生に25勝(昭和41年〜平成9年)、朝日杯に21勝(昭和40年〜平成10年)、関東学生に27勝(昭和42年〜平成13年)した。 倉本史上初、日本学生4連覇 この間の優勝者実数は36人で、うち、昭和42、45,46,47,49,50,60,63、平成3、5、6、7年の13回は3大タイトルを独占した。また、1971(昭和46)年高橋信雄、同49年倉本昌弘が、それぞれ3冠を独占。倉本昌弘は1974(昭和49)年から1977(昭和52)年まで日本学生史上初の4連覇を飾った。学生大会での4連続優勝は、ほかに朝日杯での羽川豊(専修/昭和51〜54年)を数えるのみである。倉本は在学中の昭和50年、52年の2度、日本アマのチャンピオンとなった。1988(昭和63)年には日本学生を制した川岸良兼が、日本アマにも優勝した。このほか1979(昭和54)年から56年まで、金子柱憲が関東学生を3連覇した。3連覇は2000(平成12)年から2002(平成14)年まで日本学生を制した宮里優作(東北福祉大学)がいるだけである。 《写真上右》 1965(昭和40)年、第19回日本学生のタイトルを争った西田升平(日本)と三上正彦(同志社=左) 《写真上左》 西田と共に日大躍進の原動力となった沼沢聖一 《写真下》 1975(昭和50)年、アジアアマチュアチーム選手権で優勝した日本チーム(左端・中部銀次郎、右端・倉本昌弘)》
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