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競技に愛を 記録に夢を 練習に心を 番組名:学生ゴルフの足跡

更新日(2011/11/28)

 KSGAの表紙に掲げられている言葉だ。この言葉を大切な教訓として生きた若者がいる。鈴木聞多さんという若者である。新連載の始めにあたり、鈴木さんのことを書いてみたいと思った。表題の『温故知新』とはふる故きをたず温ねて新しきを知ると読む。古いことを調べて研究することによって、新しい知識や道理を発見することである。古き、よき時代を生きたスポーツマンの心を学んでもらいたい。

  話題の主、鈴木聞多さんは慶應義塾大学陸上部の短距離選手だった。選手として第一線に立っていたのは戦前の昭和10年頃のこと。その当時100メートルで10秒6の日本記録保持者だった。昭和11年のベルリン五輪に出場し、次回の東京五輪(昭和15年)では日本のエースとして活躍が大いに期待されていた人物であったが、昭和14年、日本陸軍の兵士として中国大陸を転戦中、不幸にして戦死した。日本の陸十協議においては、幻のランナーになってしまった。昭和15年のオリンピック大会は開催地の日本が開催を返上したため、幻の大会だったといわれる。鈴木さんの存在もまさに幻である。

  鈴木さんは埼玉県川越の出身で旧制川越中学校時代、全国中等学校陸上選手権大会での優勝と、中学時代の輝かしい記録を持って慶応義塾大学に進学した。陸上部に入り、文武両道を目指した。慶応在学中の昭和10年、ハンガリーで開催された国際学生陸上大会で2位に入賞、ドイツで開かれた5か国対抗陸上では当時の欧州チャンピオンを破って優勝して、日本のホープに躍り出た。
昭和11年のベルリン五輪では男子100メートルに出場した。だが二次予選において写真判定の結果、無念の敗退。しかし23歳で伸び盛りの鈴木さんは、次回の東京五輪の最大のホープとして日本全国から希望の星として期待される存在になった。
昭和12年に日中戦争が勃発した。鈴木さんは国策に沿うようにその翌年、陸軍に入隊した。この年、東京五輪の開催が返上され、世の中は急激にセン辞職が強まった。その翌年の昭和14年7月17日、鈴木さんは従軍席の中国大陸で戦死した。26歳の若さだった。
陸上のホープの死は、衝撃的だった。だが戦中、戦後の日本人は苦しい生活環境の中に置かれたため、その業績や死は、陸上関係者のみならず、地元でさえあまり伝えられていないため鈴木さんの存在は最近まで知られていなかった。
だが大宮市に住む陸上好きの高校の先生の調査によって鈴木さんの足跡が明らかになった。これを朝日新聞の地方版(埼玉)が『戦火に散った陸上選手』という見出しで伝えた。平成10年のことだった。

  鈴木さんは慶応義塾の陸上部時代、主将という立場から後輩にいつもこんなことを言い聞かせた。
『陸上競技に愛を、記録に夢を、練習に心を…』
これはスポーツに注ぐ情熱、希望を夢見て挑戦する気力、記録の下地を作る練習の重要さを凝縮した言葉だと思う。あえてこの言葉を情報誌の表紙に掲げたわけは、こよなくスポーツを愛し、26歳の若さで、この世を走り去った一人の若者の心をゴルフ界にも伝えたかったからだ。日本のスポーツ界にはこんな素晴らしいアスリートがいた。『勝てばいい。賞金をたくさん取ればいい』は心の貧しいアスリートが考えることだ。競技を愛し、好きな競技に情熱を持って取り組み、明日へ夢をつないでいたこの若者の心は豊だ。ここを多くのゴルファーに知ってもらいたいから、“聞多語録”としてこの言葉を取り上げたのである。

≪写真・鈴木聞多の足跡を伝える朝日新聞の記事≫