ゴルフの大衆化に骨折った『小寺酉二』さん 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2023/02/05)

  日本にゴルフが持ち込まれたのは明治36年(1903)のこと。当時、神戸に住んでいたイギリス人たちが望郷の念に駆られ、神戸・六甲の山上に3ホールのゴルフコースを造ったのが日本とゴルフの結びつきだった。 その後、海外に出向いた日本のビジネスマンたちがゴルフを知り、帰国後、自らの手でゴルフ倶楽部立ち上げに骨折った。

  大正2年(1913)、初の日本人の手によるゴルフ場が建設され、ゴルフを手掛ける日本人が増えた。しかし、太平洋戦争による食料の不足から、ゴルフ場は『芋畑』になっていた。だが、戦後の日本に進駐した米軍の手により芋畑は昔のゴルフ場に復元され、ゴルフは大衆化の道を歩き出した。

  そこで、ここに登場する小寺酉二さんのゴルフに対する知識と愛好の精神がものを言った。

  小寺さんは慶応義塾の学生時代からゴルフに親しみ、アメリカに留学して語学を学んだ。戦後のゴルフ界にあって復興の旗頭となり、日本ゴルフ協会の役員を務め、普及の先頭に立った。復活した日本ゴルフ協会の競技には在日米軍の兵士たちが多数参加した。この時、小寺さんの語学力が役立った。難題を吹っ掛けられても、得意の語学力で切り抜けた。

  小寺さんの関わった「ゴルフの大衆化」といえば、新聞記者との交流を忘れてはならない。記者団に正しい用語を教え、時には記者団を集めて競技会を開き、実戦をもって規則、競技を体得してもらった。このため昭和32年(1957)、日本で初めてゴルフの国際競技(カナダカップ)が開かれても、取材に悩む記者はいなかった。

《写真・ゴルフの大衆化に骨折ったその小寺酉二さんのフィニッシュ》