更新日(2022/02/05)
大正生まれのベテランプロ石井朝夫(いしい・ともお)さんが1月24日、老衰のため東京都内の病院で亡くなった。98歳だった。 ベテランプロの石井さんといっても、新しいゴルファ―には馴染みが薄いかもしれないが、静岡県川奈の出身で、戦後の昭和20年代から同30年にかけて、川奈出身に石井一族の一人として関東のゴルフ界で活躍した。 石井さんがプロゴルファーとして注目されだしたのは昭和26年頃からだった。オーソダックスなゴルフが身上で、手堅さがあった。 伊東市の富戸出身で石井治作、茂、廸夫と同郷で、スタートは川奈のキャディーからだった。プロとしての初勝利は読売プロ選手権だったが、その後は紹運に恵まれず、万年2位の帝王ともいわれた。 昭和38年と同40年に関東オープンに勝って以来、万年2位の汚名を返上し、中村寅吉、小野光一らに並ぶ実力者といわれるようになった。 趣味は車の運転で、スピードの出る車を愛用していた。昭和36年に中日クラウンズに優勝し、副賞として小型の乗用車を授与されたが、他社のスピードの出る乗用車を愛用していた、これはゴルフトーナメントでプロの副賞として乗用車が提供された第一号だった。 石井はいつも現金2、30万円を財布の中に入れていた。プロとして脚光を浴び始めた頃は国産クラブの品質はもう一味。そこで『アメリカ製のいいクラブが古道具屋の店頭に並んでいると購入するための資金だよ』とうそぶいていた。石井が脚光を浴び始めた時代は国産品の品質はいま一息。クラブ、シューズ、シャツなどはアメ横で米国産を購入していたらしい。 海外で競技成績が目立つのはフィリピンとマレーシアで優勝しているが、ユーモアあふれる一幕はマスターズでの一コマだろう。石井が打ったボールはグリーン上で跳ねて横で観戦していたご婦人の手提げバッグに飛び込んだ。すると石井はそのバッグを持ってすたこらと歩き出した。石井は『ボールが入ったから持ち帰ります』とやったからご婦人は慌てた。『生活費が入っているから・・・』 もちろん、持ち帰るはずもなく、石井のユーモアに周囲の観客は笑いこけた。 《写真:中日クラウンズに勝って乗用車を獲得した石井朝夫》
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