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| 戦前派のプロゴルファー、棚網良平さんの他界 |
番組名:孔球偉人列伝 |
更新日(2012/12/18)
神奈川県の相模CCの専属プロとして活躍した棚網(たなあみ)良(りょう)平(へい)さんがこの11月17日、91歳の高齢で亡くなった。ご子息の棚網清隆さん(前駒澤大学ゴルフ部監督)からの通知で知った。
棚網さんは戦前、秩父カントリー俱楽部(現在の東京ゴルフ俱楽部の前身)を振り出しに、この道に入った。戦時中、兵役に服したが戦後は相模CCのプロになり、プロ競技でも活躍した。かつてカナダカップで活躍した中村寅吉さんや小野光一さんのような派手な存在ではなかったが、堅実味のあるインテリプロとして多くのゴルファーに親しまれた。
日本プロゴルフ選手権がまだ、マッチプレーで争われていた時代の昭和36年、大洗GCでの大会に、棚網さんは予想を覆す奇跡の優勝を遂げ、大きな話題になったのが現役時代の勲章だった。
決勝の相手は当時、新進気鋭の細石憲二さん(下関)だったが、棚網さんは予選の36ホールストロークプレーを辛くも突破し、マッチプレーに進んだ。マッチプレーの1回戦からミラクルゴルフの本領を発揮し、あれよあれよという間に決勝戦に駒を進めた。
ところが決勝に進んだ両者は力士が初土俵を踏んだかのようにコチコチに緊張してミスを連発した。言葉はよくないが、まるで泥試合の様相になり、相手の失敗に乗じてポイントを挙げるという荒れた試合になった。しかし、棚網さんは終盤に粘りのゴルフを発揮し、1アップの僅差で細石さんを下し、最高の権威ある競技のチャンピオンになった。競技が終わっても棚網さんの顔はこわばったままで優勝した喜びの表情はついぞ見せなかった。優勝カップを受け取っても緊張したままで、ハトが豆鉄砲を食らったような表情が解けなかった。棚網さんはそんな無垢な一面を持ったプロだったのが印象に残る。棚網さんの死で、戦前派のプロがまた一人いなくなった。
《写真・棚網さんの全盛時代のバンカーショット》
〆
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