最後の倶楽部プロ、小針春芳さん他界 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2019/07/02)

  前から日本のプロゴルフ界を支えてきた那須ゴルフ倶楽部所属の小針春芳さんが去る4月19日、97歳の生涯を閉じた。小針さんは競技面では日本オープン、関東プロ、関東オープンなどに優勝のほか、カナダカップの日本代表を歴任するなど、海外でも顕著な活躍をしている。

  生来の温厚な人柄は、所属していた那須ゴルフ倶楽部の会員の誰からも好かれ、プロとしては特筆すべき名誉会員に推挙されているなど、倶楽部所属プロとしての大きな足跡を残している。

  小針さんがゴルフのプロとして、この道に入ったのは1935(昭和10)〜6年の頃で、那須ゴルフ倶楽部の建設が始まった時分だった。キャディーの募集があり、これに応募してご縁ができた。

  実家は栃木県那須塩原にあり、農業を営んでいた。しかし、小針さんの言葉を借りると『我が家は貧乏で、コメの飯が食えるのは盆か正月くらいで、あとは稗か粟が毎日だった』そうだ。小針少年はこうした家庭の実情の中、一念発起して働きにでた。16歳の時である。

  ゴルフ場ではキャディー兼研修生で、木の枝を削って造ったクラブで人目を避けながらボールを打って技術を覚えた。当時はキャディーといえどもコースに出てボールを打つのはご法度で、来場者がいなくなってから、こっそりボールを打った。1940(昭和15)年の夏、関東プロの月例競技が那須ゴルフ倶楽部で行われ、小針さんは研修生として競技に参加できた。この時、当時の第一人者だった浅見緑蔵さんとトップを争う出来栄えで、この実績が評価され、晴れて那須ゴルフ倶楽部のプロに認められてプロ生活のスタートが切れた。

  しかしその時分から世の中は戦時体制にはいり、1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発、小針さんは日本陸軍の兵士として中国の山東省の第一線に派遣された。次いでニューギニアに転戦した折に、不幸にもマラリアに侵されたため復員した。ゴルフのプロ生活に復帰してから後遺症に苦しめられたが、生来の我慢強さで克服した実績がある。

  夏はホームコースの那須で、冬場は倶楽部提携先の霞ケ関カンツリー倶楽部で倶楽部プロとして勤めながら、会員のレッスンを担当した。その間、競技面では前述のように日本オープン2度を始め関東プロ、関東オープンに優勝した実績があり、那須では優秀な後輩プロを育てている。後輩たちは先輩の薫陶を受けているからだろうか、倶楽部プロとして業務に忠実で、温厚な人柄が特徴だ。昨今の若いプロたちは独立心旺盛でスポンサーを見つけては独立するが、小針さんは全く反対で、倶楽部あってのプロという精神を崩すことなく、業務に忠実で会員を大切にする精神を持ち合わせている。最後の倶楽部プロとあえて言っておきたい。

《写真は日本オープン優勝時の小針さん》