| ゴルフ殿堂、金井氏ら三氏を顕彰 |
番組名:孔球偉人列伝 |
更新日(2018/02/01)
日本プロゴルフ殿堂(松井功・理事長)は29日、東京都内で記者会見を行い第6回の殿堂入り顕彰者三氏を発表した。レジェンド部門は藤井義将氏、プレーヤー部門に金井清一氏、吉川なよ子氏がそれぞれ選ばれた。顕彰式典は3月23日、午後2時半から横浜のパシフィコ横浜(横浜市西区みなとみらい1−1−1)でのジャパンゴルフフェアの会場で三氏(藤井氏は故人。ご子息が出席予定)を招いて行われる。
今回、レジェンド部門にノミネートされていた山本増二郎、プレーヤー部門の佐々木マサ子、尾崎将司の三氏は都合により辞退した。
◇殿堂入りする三氏の略歴と足跡
《藤井義将〜ふじい・よしまさ》
福岡県出身、福岡CC和白コースから21歳でプロ入り。昭和37年、霞ケ関CCからトーナメントプロとして招かれ、同倶楽部を拠点に関東のプロゴルフ界で活躍した。当時、会員制のゴルフ倶楽部で育ったプロの業務は、会員向けのレッスンやコース管理の助言などが主なものだったが、トーナメントプロとしてゴルフ場と雇用契約を結ぶのは異例だった。当時のプロを対象にした競技の数が少なく、今日とは違い手にした賞金では生計は立てにくかった。
霞ヶ関CCを離れ、新設の玄海GC(福岡県)に移籍してから力を発揮できた。昭和46年の日本オープン選手権(愛知CC)は雨中の接戦を制して初のビッグタイトルを手にした。シニア入り後、日本プロシニア選手権など通算23勝を挙げている。平成16年には文部科学省のスポーツ功労者顕彰を受けた。平成27年2月、85歳で他界。
《金井清一〜かない・せいいち》
雪国新潟県の出身で、高校を卒業して東京・秋葉原の電気店に就職してサラリーマン生活を送っていたが、勤務先の会社があったビルの屋上にゴルフ練習場があったことがゴルフとのご縁のきっかけだった。ボールを打ってみたことがゴルフのプロを志す糸口になった。やがてゴルフのコースを知り、独学でゴルフ技術を学びながらコースに出て、その奥深さを知った。昭和40年に関東プロゴルフ協会のプロテスト競技に合格してプロでデビューを果たした。競技面では昭和47年の日本プロ選手権で尾崎将司と激しい競り合いを演じた末に初優勝を飾った。その後、関東オープン選手権、関東プロ選手権に優勝するなど、協会主催の競技に滅法強かったことから《公式戦男》という異名をつけられた。昭和52年にはワールドカップ(カナダカップ)で日本代表としてプレーしている。シニア入りしてからもベン・ホーガンのモダンゴルフの理論を追求し、平成3年から日本シニアオープン選手権に3連勝を達成している。今回の顕彰の知らせを受けた金井は『いまだに信じられない、嬉しい知らせだった』と語っている。
《写真:日本プロゴルフ殿堂提供》
《吉川なよ子〜よしかわ・なよこ》
道産子の吉川がゴルフ界にご縁ができたのは19歳の時だった。高校を卒業した後、札幌で働いていたが、滋賀県にある皇子山のゴルフ場のキャディーとして働き出した。やがてゴルフに興味を持ち始め、コースが休場の日にはクラブ1本を持ちボールを打ってみた。ゴルフ場勤務の後、経験を生かして京都市内のゴルフ練習場に勤務した。ここでボールを打つ技術を身に着け、昭和47年に女子プロテスト競技に合格してプロになった。23歳の時だった。
プロデビューした吉川は昭和54年の日本女子オープンゴルフ選手権(広島)でプレーオフの末、初めて大きなタイトルを手にした。著しい活躍は昭和63年で、年間に5勝を挙げている。プロの道を選んだきっかけは、かつて樋口久子や鳥山由紀子らの活躍が目覚ましい時代にゴルフ雑誌のグラビアに活躍ぶりが報じられていたのに刺激を受けたという。すでに現役を退いているがゴルフに対する情熱は衰えずで、ベテランを対象にした競技会には率先して参加している。細身の体を精一杯使って打つ吉川のゴルフを《おしんゴルフ》と形容された。おしんとはNHKの人気テレビドラマの主人公の名前で、明治、大正、昭和を駆け抜けた辛抱強い女性だった。
《写真:日本プロゴルフ殿堂提供》
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