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更新日(2017/12/08)
カナダカップはゴルフのオリンピック版ともいえる国際親善を目的とした国別対抗のゴルフ競技である。参加資格はプロアマを問わない。1国から2人が出場して72ホールをプレーしてチームの合計で優劣を競っている。 この競技で日本の中村寅吉と小野光一のペアが1957(昭和32)年の第5回大会で個人、団体で優勝して以来、日本ではゴルフ熱が高まり、英米に次ぐゴルフ愛好国になったことはよく知られている。 だが日本が参加できるようになった裏に、現天皇陛下とゴルフをこよなく愛した外交官の存在があったことは余り、知られていない。 そのゴルフ好きの外交官とは駐カナダ、駐米大使を歴任した井口貞夫さん(1899〜1980)である。井口さんは和歌山県のご出身で1922(大正11)年に外務省入省し、その間、外務省次官、駐カナダ、アメリカの大使を歴任している。英国留学中にゴルフと出会い、ゴルフ好きの外交官として知られていた。東京ゴルフ倶楽部に入会し、退官後も忙中閑のゴルフを楽しんでいた。 1953(昭和28)年、英国のエリザベス女王の戴冠式がロンドンで行われたが、この時、天皇(昭和天皇)のご名代として皇太子殿下(現天皇)が参列された。皇太子は往路アメリカ経由でイギリスに向かわれたが、途中でカナダに立ち寄られて原子力潜水艦の建造で有名なゼネラル・ダイナミクス社などを見学された。その際、井口大使は皇太子に随行し、同社のジョン・ホプキンス会長とゴルフ談義の機会があった。 その年、カナダカップがホプキンス会長の提唱で創始され、第1回大会がカナダのモントリオールで開かれているが、敗戦国の日本には参加要請の声はなかった。 ホプキンス氏も井口大使も大のゴルフ好き。いつしかゴルフに話題が及んだところで井口大使が『日本は戦後の復興から立ち直り、ゴルフが盛んになっているので、ぜひカナダカップに参加したい』と切り出すと、ホプキンス氏は『ぜひ、そう願いたい』と快諾し、翌1954(昭和29)年には招待状が舞い込み、中村寅吉、石井廸夫のペアが初出場できた(東京ゴルフ倶楽部会報・昭和45年3月号に井口さんが執筆)。 ホプキンス氏は1954(昭和29)年に来日し、川奈ホテルに滞在したが、日本ゴルフ界の首脳陣と懇談しているが、この時に1957(昭和32)年の日本開催が議論され、第5回大会の実現に結びついている。 第5回大会は1957(昭和32)年10月24日、日本ゴルフ協会、国際ゴルフ協会、読売新聞社の主催で第1日を迎えた。連日千人を超える観客がコースを埋めた。日本テレビによって競技が実況中継され、電波は各家庭の茶の間に飛び込んだのが普及のきっかけになった。 《写真・昭和29年のカナダカップの一コマ》 中央のコート姿が井口貞夫大使。 その左は大会のパトロン、ジョン・ホプキンス氏。右側2人が栗原甲子男と小野光一の日本代表
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