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近藤さん、安らかに〜関東学生ゴルフ最終日に出場者全員が黙とう 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2017/09/18)

  今年の関東学生ゴルフ選手権の最終日は8月11日、千葉県の鷹之台カンツリー倶楽部で行われ、東北福祉大4年生の比嘉一貴君(沖縄県出身)が72ホールを通算275打(−9)という好スコアで初優勝した。

  競技終了後の表彰式で、この春、他界した元鷹之台カンツリー倶楽部キャプテン近藤暾さんのご冥福を祈り、最終日に勝ち残った全員が1分間の黙とうを捧げて近藤さんのご冥福を祈った。

  近藤さんは東京大学在学中、ゴルフ部員として部活動に汗を流していたが、折しも太平洋戦争たけなわで、ゴルフどころではない学生生活を送ってきたこともあり、コース確保に悩む学生ゴルフのために、ホームコースの開放を働きかけた関東学生選手権の陰の恩人である。


  話は変わって戦後のこと。平和な時代が戻った日本では、プロ野球に東京六大学野球が国民憧れのスポーツになって脚光を浴びた。

  昭和20年代の後半からゴルフが復興し、時の流れに乗るように学生ゴルフも盛んになった。ところがその時代のゴルフ場は日本に進駐した米軍によって接収されていたところが多く、学生ゴルフに門戸を開放してくれるゴルフ場はなく、競技会は容易には開催できる状況ではなかった。学生ゴルフは昭和28年、朝日新聞社の支援で関東学生ゴルフ連盟が復興し、この年に戦後初の関東学生選手権が我孫子ゴルフ倶楽部で開催された。しかし、連盟は復興して競技会は開かれたものの、その後、肝心のコースを使わせてくれる倶楽部はなく、連盟や復活を支援してくれた朝日新聞社はコースの確保に苦慮した。そこで連盟係者は当時、鷹之台CC競技委員会委員長だった近藤さんに相談を持ちかけたところ、近藤さんは同倶楽部の理事会にこの難題を持ち込んだ。その結果、真夏で会員の来場が少ない時期なら、解放しようという朗報が得られた。毎年夏、名門中の名門倶楽部で関東学生ゴルフ選手権が開催されるようになった裏には近藤さんの学生ゴルフを思いやる働きかけがあったればこそ。

  この日の表彰式には岩瀬・鷹之台CC支配人や長島元同倶楽部副支配人が特別参列して下さり、学生とともに近藤さんの冥福を祈った。

  関東学生の舞台は昭和30年、2年おいた昭和32年以降は鷹之台CCとなっている。競技は昭和30年にマッチプレーが導入され、本年は第65回の大会を迎えた。鷹之台CCから巣立っていった学生ゴルファ―の数は6000人を超える、といわれる。

《写真・亡き近藤さんの冥福を祈る学生諸君〜鷹之台CCで》