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タンゴの国の名ゴルファー、ビセンゾさんが94歳で他界 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2017/06/10)

  タンゴの国アルゼンチンが生んだ名ゴルファー、ロベルト・デ・ビセンゾがこの1日、94歳で母国アルゼンチンで亡くなった。アメリカの『Global GolfPost』 が伝えている。

  ビセンゾは1971年、東海クラッシックトーナメント(名古屋・三好CC)出場のため夫人同伴で来日し、2位の好成績を残している。その後、九州に足を運びブリヂストントーナメントにも出ている。

彼は生涯30か国以上の外国での競技に出場したゴルフのツアープロで、通算230回という優勝記録を持っていた。その名が広く知れ渡ったのは1967年、英国オープン(ロイヤル・リバプール)での優勝、以後カナダカップやマスターズトーナメントではアルゼンチンの巨匠として常に注目される存在だった。

世界のゴルファーの話題に上ったのは1967年のマスターズの時だった。この年は優勝したボブ・ゴールビーと激しい優勝争いを演じた。ところがビセンゾはスコア誤記(実際のスコアより少なく申告した)のためゴールビーとのプレーオフの機会を失い、2位に落ちて優勝のチャンスを逃している。

ビセンゾはこの一件を生涯悔み、来日した時、尋ねてみたら、こんな言葉が返ってきた。 『あれはアメリカ人の陰謀だ。あの時、スコアを書き込んだスコアカードがテーブルの上にあった。競技委員からサインしてこれを出せ、と言われたので提出したまでだ』

つまり大詰めの17番でビセンゾのスコアは3だった。ところがマーカーのトミー・アーロンが4と記入していた。これを確認しなかったビセンゾに落ち度があったわけで、確認を怠ったのだ。

こよなく日本を愛し、日本食も口に運んだが、当時日本のゴルフ場のグリーンは高麗芝の全盛期だったのが印象に残っているらしく、ビセンゾと1993年、アメリカで再会したが、『今も日本は高麗芝のグリーンかい?』と聞かれた言葉が今も耳に残る。(合掌)