戦後アマチュア界に新風を吹き込んだ日系二世 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2015/09/24)

  戦後、日本のゴルフが戦禍から完全に復興したのは昭和25年頃で、日本アマチュア選手権が再開されたのはその年の6月だった。
  ゴルフ用具は極端に不足していた上に食糧事情は芳しくなかった。各家庭でコメを買うには米穀通帳が必要だった。それでも日本のゴルフが復興できたのは、日本に進駐した米軍の将兵や軍属として働いていた日系二世たちの新しい技術とパワーゴルフの実践の負うところが大きい。

  日系二世といえば昭和38年(鷹之台CC)に日本アマに優勝した森本弘(我孫子)の存在を忘れてはならない。
  森本はハワイ・カウワイ島の生まれ。両親は広島出身の移民。太平洋戦争中、軍属として兵役につき終戦の直前、南太平洋の激戦地マリアナ諸島にいた時、上官から『あと1年、兵役を延ばしたら日本に配属する』という言葉に二つ返事で従った。日本は両親の母国だ。1949(昭和24)年、横浜市にあった米軍購買部に赴任した。ここにはゴルフ好きの上司がいて、ゴルフを勧められた。

  この時代は日本のゴルフ場は米軍に接収されていたからいずこも“木戸御免”でどこででもプレーできた。その頃、三好徳行さんという日本人の名手と懇意になり、技術の交歓が始まり、やがて関東のアマチュアの競技に出るようになった。

  やがて我孫子GCに入会してアマチュアの競技に出場した。昭和33年、広野GCでの日本アマのメダリストになって頭角を表わし、日本アマに勝った翌年(39年)は関東アマにも勝った。 その時代から森本は巧みに日本語を駆使して日本人ゴルファーとの交流を図っていた。 昭和39年に晴れてアマチュアの世界チーム選手権の日本代表に選ばれて出場した。この時、森本はこう語った。『僕は味噌汁が苦手だが、日の丸を背負ってプレーした時、日本人であることを実感した』と両親の母国に思いを馳せた一幕があった。

《写真・現役時代の森本さん》〆