Golferweb
ゴルフ情報総合サイト
  スコア管理・ラウンド日記など
  ゴルフに関してお任せ下さい。

ログインお問合せ
サイトトップページ ゴルフ歴史館 ゴルフ歴史館 コミュニティ スコア管理 コラム ゴルフ用品界 全国工房案内 文字サイズより小さくする普通のサイズにするより大きくする
Golferwebコラム
  東西ゴルフ事情 ゴルフ業界最前線 ゴルフ歴史館コラム Golferwebユーザコラム  
 


このコラムの他の記事
カ杯に日本の参加を取り付けたゴルフ愛好家の外交官
近藤さん、安らかに〜関東学生ゴルフ最終日に出場者全員が黙とう
タンゴの国の名ゴルファー、ビセンゾさんが94歳で他界
近藤暾(あさひ)氏のご逝去
ギランバレー症候群を克服したレッスンプロの奮闘記
アーノルド・パーマーの思い出
橘田、勝俣の米国留学
戦後アマチュア界に新風を吹き込んだ日系二世
殿堂入りした石井朝夫さんを祝う会、賑やかに
第3回ゴルフ殿堂に顕彰された四氏
鑑田茂さんの死
三島弥彦さんの学習院野球時代
卒寿を迎えたレッスン上手のプロ鈴木喜三さん
《コメの飯だよ》が口癖だったプロゴルファー栗原甲子男(かしお)さん
世界一周を達成したゴルファー
戦前派のプロゴルファー、棚網良平さんの他界
競技委員長代行の凄いスポーツ歴
さよなら。東京ゴルフ倶楽部の名物ゴルファー西邑真さん
ゴルフ論文で学術博士号を取得した元公務員ゴルファー
チャンピオンはボウリングがお好き
2度泣いた新チャンピオン、両親をも泣かす
衰えぬフォークボール元祖の長打力
モグラ、ミミズにやられた熱烈ゴルファーの無念
名ゴルファー石井廸夫(いしいみちお)さんの死
井上誠一、設計コースの表情をとらえた〜大地の意匠〜
お懐かしや 荒川五月さん(元女優)。プレゼンターに
86歳、ただいま現役
久保田夫人が語る大正、昭和のゴルフ
さらば南アの黒豹
君島一郎さんのもうひとつの功績
南部利昭さんの悠揚迫らぬゴルフ
女子プロ育ての親、松島さん死去
祖母の意思を継いで20回出場の快挙
師匠は空手6段の猛者
ただいまエージシューティング86回目
室谷さんの諸国漫遊
オークモントに流れた兼さん、一世一代の声
春風に乗って出た鍋島直泰さんのダブルホールインワン
日本のゴルフの始祖を記念する清渓文庫


鑑田茂さんの死 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2014/12/23)

  富山県の呉羽CCの所属プロだった鑑(かん)田茂さん(78)が去る10月20日、78歳で亡くなった。鑑田さんといっても最近のゴルフ愛好家にとっては馴染みが薄かろう。だがオールドファンにとっては懐かしい名前だ。

  鑑田さんは昭和11年、東京・町田市に生まれた。高校時代に相模CC(神奈川県大和市)でアルバイトキャディーをやったのがきっかけでゴルフの道を歩き出した。当時、相模CCには井上清次、棚網良平、八木庄蔵といった戦前派の腕達者なプロがいて、その下でプロとしての修業を重ねた。技術に留まらず、作法に至るまで先輩プロから厳しく仕込まれながら成長した。

  昭和33年、晴れてプロテスト競技に合格。翌34年の秋、隣接する相模原GCで行われた日本オープン選手権が新人、鑑田さんにとってはデビュー戦だった。強く打てば飛ぶ。曲がらないが自慢の新人プロは、第1ラウンドを-5の69で回り、ベテラン勢を抑えたトップに立って周囲を驚かせた。怖いのも知らずの若さでの初陣だった。結局この時、鑑田さんは通算298で3位に入った。プロ2年目にしては出色の出来だった。優勝した陳清波とは僅か2打差。陳はプレーオフで島村祐正を下して初優勝をとげた。

  プロとしては順風満帆のスタートだったが、しかしトーナメントでは思うような成績を残せなかった。心機一転を図り、富山県の呉羽CCに移ったのは昭和46年だった。東京生まれの鑑田さんにとっては縁の薄いところだった。だが、俱楽部プロとしての力が発揮できた。会員に対するレッスン上手、接客時の低姿勢、コース管理に関する豊富な知識さが生かされた。相模CCでの修業時代に身に付けた豊富な知識が開化したのだ。ゴルフ場側としても頼りになるプロとして重きをなした。

  しかし、数年前から筋萎縮性索硬化症という難病にとりつかれ、この7月から入退院を繰り返しながら愛娘の金谷ゆかりさんに見守られながら78歳でプロゴルフの生涯を閉じた。

  トーナメントプロとして一旦は花を咲かしかけたけれど、一転して俱楽部プロとしてあるべき姿を歩き、結果として多くの富山のゴルファーに厚い信頼を得た。日本古来の俱楽部プロのしきたりを身に付けていた最後のプロだった。

《写真・昭和34年、新人ながら日本オープンの第1日でトップに立った鑑田さん〜相模原GCで》〆