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更新日(2013/07/11)
日本がオリンピックに初めて参加したのは1912(明治45)年のストックホルムの大会だった。陸上競技の短距離に三島弥彦さん、マラソンに金栗四三さんが出場した。この時代は飛行機がないから選手団はシベリア横断鉄道に揺られて1か月かけて北欧まで長旅の末に辿りついた。団長は講道館の加納治五郎氏。この時代のIOCの委員だった。 三島さんは学習院から東大に進み、横浜正金銀行に勤務した。幼少期からスポーツ万能で、野球、陸上、柔道なんでもござれだった。 野球は学習院時代、学習院と一高の対戦では投手として活躍した。 東京六大学野球連盟は1925(大正14)年に結成され、神宮球場を本拠地にして人気を集めたが、三島さんはそれ以前に名投手として話題になった。 銀行時代は海外勤務が多く、ゴルフも外地で覚え、アマチュアとしてはトップクラスの腕前だった。国内の選手権の出場経験はないが、もし出場していたら日本のアマの選手権には簡単に勝っていただろうといわれる。弥彦さんは第5代の警視総監、三島通(みち)庸(つね)の三男だった。通庸は警視総監時代、武術を導入した。 《写真・学習院時代投手として活躍した三島弥彦さん》
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