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久保田夫人が語る大正、昭和のゴルフ 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2009/10/08)

 戦前のアマチュアゴルフ界で活躍した久保田瑞穂(みずほ)さん(故人)の夫人、美代さんは日本の女子ゴルフの草分けで、医学者、高木喜寛氏(元慈恵会医大学長)を父に持ち、ゴルフの手始めは大正時代、駒沢のコース(東京ゴルフ倶楽部)でバッタ取りをして遊んだことに端を発している。喜寛氏はイギリス留学中(セントトーマス医科大)にラグビーとゴルフに親しんだ。日本のゴルフ、ラグビー草創期の人物で、日本ラグビー協会の初代会長だった。

 『父のゴルフはイギリス仕込みのゴルフですから、作法に厳しく、いつも上着でプレーしていました』(美代さん)というように、当時の紳士たちはいつも上着着用でプレーしていた。行儀についても厳格で、美代さんにはこんな思い出がある。  『女の子同士でキャーキャー騒ぎながらプレーしたら、そこに座りなさい』と一喝の大目玉。『ゴルフ場は騒ぐところではない!』。思い出に残るゴルファーは、日本の近代ゴルフの先駆者である赤星六郎さん。『インド人のように色が黒く、大きい人だった』

 夫君の瑞穂氏は昭和19年に死去。学生時代は天才といわれた名手で、関東、関西のアマ選手権と全日本学生選手権の元チャンピオン。美代夫人のお宝は夫君が遺したスコアカードとトロフィー。小山ゴルフクラブ(栃木県小山市)は瑞穂氏の父・篤次郎氏が早世した我が子をいとおしんで自分の庭園に造ったゴルフ場だ。


【写真・夫君の優勝盾を手にする美代夫人】