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日本のゴルフの始祖を記念する清渓文庫 番組名:孔球偉人列伝

更新日(2006/02/15)


日本人の手による日本人にためのゴルフ倶楽部は、大正2年に創立された東京ゴルフ倶楽部(現在は埼玉県狭山市)である。翌3年、東京・駒沢(東京オリンピック駒沢競技場)の地に、6ホールのゴルフ場を完成させたが、これが日本のゴルフの事始めである。

倶楽部創設の中枢を担ったのは日銀総裁、大蔵大臣を歴任した井上準之助(1868〜1932)だった。
氏の生地、大分県日田市には準之助の足跡を記念して遺品(書翰、愛用した日常品、狙撃された時の衣服など)の数々を展示した『清渓文庫』あがる。準之助は日田の造り酒屋の三男として生まれた。地元の日田教英中学(旧制)の4年生で仙台の第二高等学校に進み、東京帝国大学法科を卒業後、日本銀行に入った。
海外駐在員だった明治42年、ニューヨークで貿易商の新井領一郎に巡り合い、新井からゴルフというスポーツを学んだ。準之助は『ゴルフは中年を超えたビジネスマンの健康保持には最良のスポーツとしてゴルフが一番』とそれ以来、ゴルフを愛好した。

帰国後、日本では初めてのゴルフ倶楽部創設に乗り出し、東京・虎ノ門にあった社交倶楽部『東京倶楽部』の会員に呼びかけて、ゴルフ場を造利に奔走した。日本のゴルフはここから始まった。

 準之助は日本人の手で誕生した東京ゴルフ倶楽部の健全経営のために自ら名誉書記の大役を担い、銀行家の発想らしく倶楽部債を発行して資金を蓄積したり、借地のための借地人代表として賃貸契約を結んだ。文字通り倶楽部経営の中心人物として重きをなした。

 駒沢のコースは昭和7年5月、新天地を求めて埼玉県の朝霞に移転するが、その年の2月9日、選挙運動中不幸にも血盟団のテロに暗殺されて63歳の生涯を閉じた。準之助は日本のゴルフの基盤の確立に心血を注いだものの、不幸にして新天地に完成した東京ゴルフ倶楽部の朝霞コースでは一度もプレーすることはなかった。

 『清渓』とは準之助の号である。この博物館は小規模な施設ながら明治の偉人の足跡を確かに伝えている。造り酒屋は井上家の6代目が継ぎ、清酒角の井醸造元として盛業中。

(写真は生前の準之助と清渓文庫の玄関)

・ 所在地=大分県日田市大鶴町2299 電話0973−28−2213

・ 清渓文庫公開日  春季 3月1日〜5月31日  秋季 9月1〜11月30日