日本のキャディー物語 番組名:ゴルフ温故知新

更新日(2023/03/16)

  1903(明治36)年、日本にゴルフ場が誕生してバッグを運搬するキャディーは少年に限られていたが、戦時中に習慣が変わってしまい、女性が登場した。

  理由は、こうだ。日本の若者は戦時中、兵役の義務があり、20歳を過ぎると兵役に服するために労働する若い男性の数が少なくなって、ゴルフ場はキャディーとして働く若者を男性から女性に切り替えたのだ。女性の登用は神奈川県にある相模カンツリー倶楽部が最も早かった。現在では、キャディーといえば女性の職場ととられがちだが、海外ではあまり例がない。戦後、日本を訪れた外国のプロたちは、日本の風習に驚き、戸惑っていた。

  女性を大切にする外国では考えられないことだった。1957(昭和32)年に日本を訪れた米国のサム・スニードは、女性のキャディ―ではプレーできないとスタートを拒否したほどだった。

  しかし、日本の女性キャディ―は競技者に従順でゴルフをよく知っている、と評判になり仕事に関していうことなし、と高い評価が下されていた。

  埼玉県の霞ケ関CCを訪れたアメリカの名プロ、ジャック・ニクラウスは、模範プレーで日本のキャディーに付き添ってもらった後 『彼女に体力があればアメリカでの競技に付き添ってもらいたいくらいだ』と高い評価を下していた。

  このキャディーはかつてカナダカップの折、サム・スニードのバッグを担ぎ『さすが…』とうならせた金子くら子さんだった。

《写真・ジャック・ニクラウスと金子くら子さん(霞ケ関CCにて)》