更新日(2017/07/23)
1960(昭和35)年2月、旧ソ連のミコヤン副首相がキューバを訪れ、通商協定と借款協定を結んだことから、キューバは反米・親ソ色を強めていった。 もともとキューバはアメリカ経済に依存するところ大であったのだが、そのアメリカは対キューバの経済封鎖を開始したために米国とキューバ間のみならず、米国とソ連の間までも雲行きが怪しくなり、キューバにはソ連製のミサイルが配置されるに至った。 時の米大統領のジョン・ケネディはソ連のフルシチョフ首相に『ミサイルの撤去か、それとも戦争か!』と迫り、米国が海上封鎖をしたために第三次世界大戦か、という火種がキューバでくすぶり出した。 そのような震撼とした情勢下の1962(昭和37)年の9月に矢口は首都のハバナに着任した。ハバナには米国が造った風光明媚なゴルフ場が沢山あるが、矢口にとってはそれどころではない。まずはカストロとの接触と信任状の提出が急務だった。この頃のカストロは身の危険を感じ、ソ連かメキシコの大統領公邸にしか足を運ばないといわれていた。だが意外にもカストロが矢口を訪れたのである。矢口は開口一番『男矢口は五分の小さな男だが、一寸の魂がある。閣下の心情察して余りある』と切り出した。この一言がカストロの心を揺さぶった。 ここからカストロ=矢口の友情の輪が広がったのである。 《写真・小泉内閣時代に来日したキューバのカストロ首相と小泉総理》
|