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日本オープン選手権の優勝カップ 番組名:ゴルフ温故知新

更新日(2016/09/26)

  秋本番。10月は男女のオープン選手権を始め、日本のゴルフ界のビッグイベントが埼玉県の狭山GC、習志野CC、烏山CCなどで開催されます。『オープン選手権』のまつわる話題を集めてみました。今年はどんな熱戦が繰り広げられるやら・・・。

    日本オープン選手権が創始されたのは1927(昭和2)年、競技を主催する日本ゴルフ協会が創立されて4年目のことでした。日本のゴルフの黎明期で、海外でゴルフを学んだビジネスマン、学者、海外に留学した若い世代の人たちが競技の主役でした。オープン選手権といっても、競技に参加できたプロは極僅かで、つまりゴルフプレーを知るのはアマチュアゴルファーが圧倒的に多く、日本のゴルフ界でプロが育ったのは、その数年前のことでした。

    競技はゴルフを知るアマチュアが断然強く、アメリカ帰りの赤星六郎さん(1898〜1944)が次位のプロに10打の差をつけて勝っています。
    さて、この時代には競技を主催する日本ゴルフ協会は発足したばかりの経験不足で、勝者に渡す優勝カップは存在しませんでした。

    優勝カップが完成したのはその翌年の第2回目の選手権からで、プロの浅見緑蔵さん(1908〜1984)が新生のカップを初めて手にしています。この大カップはゴルフ協会生みの親、大谷光明さん(1885〜1961)発案の図案に基づき、正倉院の美術品をヒントに完成したと伝えられています。だが残念なことに戦前、最後の日本オープンに勝った延原徳春さん(本名は延)が京城(ソウル)に持ち帰って以来、行方不明になったままです。

    戦後、日本ゴルフ協会が復興し、日本オープンが再開された時にはカップはありませんでしたが1952(昭和27)年、2代目のカップができ、これが歴代の優勝者に渡されています。旧カップは日本ゴルフ協会の創立50周年を記念して復元されましたがJGAミュージアムに展示されたままで、復元されたカップは今日までゴルフフアンの前に姿を表すことはありませんでした。





《写真・日本オープン選手権の新旧カップ比較》
        右上:大谷デザインの旧カップ(カップを抱いているのは延原徳春)
        左下:1952年にできた現在のカップ(カップの横に座っているのはその年の優勝者、中村寅吉)