更新日(2016/08/13)
リオのオリンピックは日本勢の大活躍で連日、多くのスポーツ愛好家の眼がテレビ放送に釘付けになっている。とりわけ大きな感動を呼んだのは体操男子の団体戦だった。 さて、日本の体操チームは1932年のロサンゼルス大会が初出場で、このとき日本代表として大会に出た近藤天(たかし)さん(1911〜1994)にスポットを当ててみたい。近藤さんは戦前派のゴルファーで、東京ゴルフ倶楽部(埼玉県狭山市)が埼玉県の朝霞にあった時代からのメンバーだった。学生時代は早稲田大学の体操部で活躍し、ロスのオリンピックに出場した。ところが五輪の本番で時代遅れの演技をして満場の失笑を買い惨敗した。口惜し涙を流した近藤さんはこの時、日本の体操を世界一に、と心に誓った。 戦後の日本は1952(昭和27)年、ヘルシンキ大会から五輪に復帰でき、団体は5位。4年後のメルボルン大会で銀。それから1960(昭和35)年に男子団体は待望の金に輝き、5連覇を達成したが、1980(昭和55)年のモスクワはボイコットして連覇は途絶えた。1984(昭和59)年のロサンゼルスから92(平成4)年のバルセロナまで銅メダル、その後メダルに届かぬ不振だったが2004(平成16)年のアテネで金メダルを取り戻し、今回のリオは12年ぶりの金メダルになった。 その間、近藤さんは日本体操協会の会長としてメルボルン、ローマの大会では総監督として陣頭指揮をとり、『体操ニッポン』の牽引役を担った。その後、日本体育協会会長も務めた。 その近藤さんにまつわるゴルフのエピソードにこんなのがある。 会員になっている東京ゴルフ倶楽部(朝霞)で宮内大臣杯という俱楽部競技に優勝した。優勝者はカップの寄贈者『松平慶民。宮内大臣』に後日、お礼に参上するのが恒例になっていた。近藤さんは松平大臣から『体操とはどんなことをやるのですか』と問われ、説明は面倒とばかり、応接間のテーブルの上で倒立をやってのけた。すると大臣は『おい、ちょっと待ってくれ』と大勢の女官を集め『近藤君。もう一度やってくれ給え』とのご所望で、近藤さんは『わたしゃア、しぶしぶやりましたよ』 近藤さんのゴルフにまつわる思い出話の一つである。 《写真・体操ニッポンが初の金メダルに輝いたローマ大会のメンバーたち(下)と総監督だった時代の近藤さん(右上)》
|