江ノ島にあったゴルフ場 番組名:ゴルフ温故知新

更新日(2006/06/14)

神奈川県藤澤市片瀬赤山1500に18ホール完備のゴルフ場があったのを知る人は少なかろう。
昭和30年春、パブリックコースとして誕生したゴルフ場は僅か10年の運命だったが、東京から近いゴルフ場として賑わった。だが起伏の多いタフなコースで、ロストボールは1Rに10個以上を覚悟して回れといわれるほどだった。
ゴルフ場を造ったのは佐藤和三郎さん(1902〜1980)という実業家。獅子文六の小説『大番』の主人公、赤羽丑之助こと゛ギューちゃん゛のモデルといわれた。兜町の風雲児と話題になった人物である。

 ギューちゃんは相場師として株で大儲けした。戦後まもなく、旭硝子、三越の株を買い、当時の金で1500万円(現在なら7億円以上)という大金を手中にした。株で儲かったギューちゃんの乗用車はその頃キャデラック。
健康保持に、とゴルフを始め念願かなって、ある有名コースの会員になれた。ところがある日プレーで訪れ、コースに出たが急にもよおした。ままよ、とコースの片隅で用を達したところを運悪く役員に目撃された。数日後、不謹慎を理由に退会を申し渡され、『それならば・・・』とポケットマネーで造ったのがこのゴルフ場だった。

18万坪の土地に総工費2億5千万円でホテルつきのゴルフ場ができた。高台にあったハウスの溶室が自慢で、秋の晴れた日には浴槽の中から三原山の大島、その先の利島まで眺望できたという。  ギューちゃんはハンチングとニッカーボッカが定番のスタイル。152cmの小柄な体を目いっぱい使ってボールを打ちながら自分のゴルフ場でゴルフを楽しんだ。だがゴルフ場の用地は昭和40年過ぎ、売却されて宅地に様変わりした。いまは住宅地になり、江ノ島ゴルフ場は富士山の麓に移転して富士高原GCになった。

 江ノ島のこの地は『ゴルフ場だったという面影はかすかに残っています』と、かつてここのプロとして勤務した染谷利明さん(70歳=東京・九段のブリヂストン ゴルフ プラザ専属プロ)は懐かしそうに語る。染谷さんはコース設計の監修をした浅見緑蔵さんの直弟子で、建設時から移転する直前まで江ノ島ゴルフコースに務めた。難ホールが並んだのを物語るように、かの中村寅吉さんでさえハーフで48を叩いたこともある。いまは昔の物語である。  

『写真は江ノ島ゴルフコースでプレーする染谷さんと背後はクラブハウス』