更新日(2006/05/01)
今回、展示された内容は、東京ゴルフ倶楽部の草創期において中枢を担った井上準之助(元大蔵大臣、日本銀行総裁=昭和7年、凶弾に倒れた)の生家、大分県日田市にある清渓文庫(井上準之助ゆかりの遺品や写真などを展示)の協力を得て、準之助の書翰、パター、書籍などが特別に展示された。 目下のところは主として会員に公開されているが、日本のゴルフ史を裏付ける史料が多いことから、ゆくゆくはゴルフ愛好家にも公開したい意向のようだ。 今回の展示で目を引くのは、現在、東京ゴルフ倶楽部の用地になっている旧秩父カントリー倶楽部の北コースに関する史料だ。会員の大半はここが36ホールを持ったゴルフ場であったことを知らない。秩父カントリー倶楽部は昭和13年、この地に、地元の大地主だった発智庄平氏がパブリックコースを造ったのに端を発している。やがて会員制の倶楽部になり、36ホールの会員制の倶楽部になった。昭和15年、東京ゴルフ倶楽部は朝霞からここへ移転してきた。その後に用地の半分に当たる北コースが日本鋼管に売却され、戦時中は食料増産のために農場になった。昭和30年代に入って宅地として分譲され、現在は『霞ヶ関団地』という名称で住宅地に変身しているのを新しい会員は知らない。 ゴルフ場の所在地近隣には郷土史研究グループがあり、歴史の保存に熱心だ。今回、東京ゴルフ倶楽部の要請で、同研究会が保存していた貴重な写真数点が展示されたが、コースの横を定期バスが走っていた風景があり、見学した会員、近隣の住民たちは時代の移り変わりに驚いている。このほか、ゴルフ史家、小笠原勇八さん(元JGA事務局長)が60年にわたって収集した戦前の写真や古文書が展示さている。東京ゴルフ倶楽部が日本人の手による、日本人のためのゴルフ倶楽部の第1号として創設されたのは大正2年、同3年には東京・駒沢に6ホールのコースを完成させた。この間、日本のゴルフ界の先駆者としてゴルフ界を引っ張り、多くの名ゴルファーを輩出した名門ゴルフ倶楽部ならではの展開である。
【写真は東京ゴルフ倶楽部のハウス内に設けられた史料室の展示の一部】
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