ゴルフは奈良朝時代にあった打(だ)毬(きゅう)? 番組名:ゴルフ温故知新

更新日(2005/12/14)

太平洋戦争が熾烈を極めた昭和17(1942)年、日本のスポーツは時の政府から大きな転換を迫られた。 スポーツを統括していた大日本体育協会は加盟団体をすべて解消し、東条英機首相を会長とする大日本体育会傘下の部会となって 国家統制を受けることになった。 そればかりではなく、舶来色の強いスポーツはことごとく抹殺させられる運命にあった。

ゴルフは限られた上流階層の遊びでしかなかったから、大日本体育会の目的である『国民の体位向上、皇国民の練成』に適うか どうかが疑問で風前の灯だった。 当時、日本ゴルフの牽引役だった日本ゴルフ協会の理事、石井光次郎さん(1889〜1981=衆議院議長)は 『もし、ゴルフがボイコットされたらゴルフ禁止も同然。なんとかゴルフを残す口実はないものか』と苦慮した。

 そこで思いついたのが、朝日映画社でつくった文化映画で見た1シーンだった。奈良朝時代の打(だ)毬(きゅう)であった。 それによると、聖武天皇の時代の神亀4(727)年の正月、王子たちが春日野に出て打毬に興じていたというのだ。 石井さんは『そうだ!ゴルフは日本古来の遊戯を復活させたものだ』と政府に力説し、ゴルフの大日本体育会入りを成功させた。 GOLFを打毬と同じ発音の打球と改めて打球部会(ゴルフ協会)が発足した。

 石井さんは『おかげで細々ながらボールの原料のゴムの配給を確保でき、戦後の再起に間にあわせることができた』と当時を振り返っていた。 ゴルフは打球と改めて体育会に残留できたため戦後、創立された世界アマチュア・チーム選手権や極東オープン選手権に いちはやく日本のアマチュアが出場できたのも、体育協会を通じてスポーツ外交のための外貨の割り当てがもらえたからだ。

《写真はゴルフを打球と言い換えた石井光次郎さん》