日本のゴルフのルーツは? 番組名:ゴルフ温故知新

更新日(2005/11/30)

日本のゴルフの起源は明治34(1901)年、神戸の六甲山上に誕生した六甲のゴルフ場(後に神戸ゴルフ倶楽部となる)というのが今日、 定説になっている。 多くの作家や評論家たちはそう書くからゴルフ愛好者もそう信じているようだ。

だが、真実なのだろうか。この定説を覆す気はないが、ゴルフ史を紐解いてみると、必ずしも六甲がルーツと言い切れない部分がある。 疑問点はその時代に日本人はゴルフをやっていないから六甲がルーツとはいい難い。

六甲のゴルフ場は神戸に住んでいた英国人の貿易商アーサー・グルーム(1846〜1918)が別荘の庭先に造った私的な4ホールだった。 創設者のグルームは六甲の避暑地の開祖として知られるが、当時、神戸の住んでいた英国人たちが故郷に思いを馳せ グルームにゴルフ場を造ってもらってゴルフに興じた。 だが、英国人と日本人は没交渉の時代だから、日本人にとっては別世界だった。

日本のゴルフの父といわれる大谷光明猊下(げいか)(1885〜1961)の言葉を引用してみる。 大谷さんは西本願寺21代門主、大谷光尊の三男、若くして英国に渡りゴルフを覚えた。 帰国後、東京ゴルフ倶楽部(当時は東京・駒沢にあった)に入会し、横浜や神戸の外人倶楽部との対抗戦で活躍した。 そのうち、ゴルフ規則の重要性を痛感し、日本のゴルフルールの制定に乗り出す。 大正13(1923)に日本ゴルフ協会を創立させた日本のゴルフの父といわれる人物である。

【日本には以前から外国人たちが六甲や横浜(根岸)でゴルフを始めていたが、それらは外国人のみの倶楽部であって、 日本人とは没交渉の存在であった。初めてゴルフが日本に紹介されたといえるにしても、 彼らによって日本人のゴルファーがつくられたとおもうのは誤りである。 創設当初は多少、外国人の手を借りたにしても、日本のゴルフは日本人の努力によってABCから始められてといってよい】 (大谷語録=日本のゴルフ60年の巻頭言)

 さて、日本人の手による日本人のためのゴルフ倶楽部は大正2(1913)年に創設された東京ゴルフ倶楽部である。 日銀総裁、大蔵大臣を歴任した井上準之助氏(1868〜1934)が中心になって倶楽部を結成させ 翌3年、東京・駒沢(東京オリンピックの会場になった周辺)に6ホールのコースが誕生した。 大谷さんがいうように、『倶楽部の創設を担った人々は、英米でゴルフの初歩を学び、紳士の社交機関として有益であることなどを 看取(かんしゅ)して自らの手でこれを日本に取り入れる決意をした』という結論に基づいての創設であった。

かくして大正3年、日本人の手による、日本人のゴルフ倶楽部、東京ゴルフ倶楽部が発足し、日本のゴルフは夜明けを迎えた。 だからこそ日本のゴルフのルーツは東京ゴルフ倶楽部とみるのが妥当だろう(写真は駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部)。

※猊下=高僧に対する敬称