更新日(2023/03/31)
1924(大正13)年に創立された日本ゴルフ協会には四つの根幹事業があった。日本オープン選手権の開催、ゴルフ規則の制定ハンディキャップ制度の確立、東西対抗競技の開催である。そのうちの東西対抗にはゴルフ好きで知られる東久爾、浅香、李の3宮殿下杯がかけられていた。しかし、この競技は1970(昭和45)年に三重県の四日市カンツリー倶楽部で開催された大会を最後に廃止されたままだ。 競技は英、米のアマチュア対抗戦『ウォーカーカップを範として』創始され、静岡県を挟んで日本を東西に分け、各地域のゴルファーが技術の交流や地域の発展を担うという大きな目標を掲げていた。東西対抗の代表に選ばれるということは一流の証ともいわれた。 第1回大会は大阪の茨木カンツリー倶楽部で行われ、関東が11-4で大勝し、関東勢は廃止されるまでに20勝12敗3引き分けの成績が残っている。廃止の理由は人選のトラブル。アマチュアゴルフ競技の消滅は、ゴルフ界の大きな損失だったといわれている。 《写真・最後の東西対抗戦に集った東西の代表たち》
|