名手4パットで一躍名物ホールになった17番 番組名:ゴルフは時空を超えて

更新日(2022/03/11)

  今から58年前の1964(昭和39)年は、どんな年だったろうか。日本で初めてのオリンピック競技が国立競技場で行われ、アベベが走り、ローズが泳ぎ、チャスラフスカが舞った。そんな年のゴルフ界といえば、日本オープンゴルフが東京ゴルフ倶楽部で行われ、「ビッグ・スギ」こと杉本英世が初優勝を飾ったのが目立つ。

  この年のオープン選手権は東京ゴルフ倶楽部で行われ、ホームコースとなる陳清波優勝の呼び声が高かった。大会は開幕から両者が競り合い、72ホールのプレーを終わってみなければ分からない流れだった。陳が先行し、杉本が追いかけた。ところが、最終ホール直前の17番で、予期できない珍事が起きた。その前ホールで陳が僅かにリード。決着は最終ホールか。と予想された。

  17番はパー3だが、グリーンは右から左に傾斜し、スリーパットの出やすいホール。両者は第1打でグリーに乗せた。陳が先に打ったが、ホールに届かない。3打目はホールをオーバーし、4打でホールイン。この時点で杉本が1打のリード。杉本は最終ホールをパーに収めて逆転勝利。2度目の栄冠だった。

  陳は大詰めの17番で、よもやの4パット。“十中八九”手に入れかけた勝利を逃した。これぞゴルフ史に残る『陳の4パット事件』である。

  陳はその後、会員のレッスンなどで回ると、誰もが口にした。『陳さんが演じた4パットのホールだよ』

  照れ隠しに陳さんは『そのうち、石碑でも立てましょうか』

  それぞ、日本オープン選手権史上に残る陳清波の4パット事件のあら筋だが、コース改造によって珍事を生み出したホールは影もない。

《写真・1964年、日本オープンの舞台。問題の17番をプレー中の陳。コース改造で当時の舞台は消えて今はない》