更新日(2022/12/02)
日本で行われているスポーツには全国規模の選手権を筆頭に地区選手権や東西対抗といった種目があり、そのスポーツの振興、技術向上に狙いを置いていた。しかし普及の度合いが進み、交通機関が発展し競技人口が増えるに従って東西対抗戦という種目は姿を消した。 東西対抗戦は、静岡を中心に日本列島を2分化して東軍、西軍と分けていた。 プロ野球の東西対抗の東西対抗は関東のチームは背中に(E),関西側は(W)の文字を背負い、戦っていた。関東側は東京の巨人、関西側は甲子園の阪神が中心になり戦っていた。 ゴルフの東西対抗は、日本アマチュア選手権の前後に行われていた。東西を代表する実力者でチームは形成され、各地区の代表に選ばれるということは、名誉なことで実力者の証だった。 ゴルフの東西対抗は1927(昭和2)年の創始で、午前にダブルス(18ホールマッチ)5試合、午後はシングルス10試合が行われ、勝ったサイドに1ポイントが与えられていた。この競技は1970(昭和45)年まで続いたが翌1971年を持って廃止された。理由は他の競技数が増えたことや交流の機会が容易であることにあった。ちなみに東西対抗戦は男子だけではなく、女子のアマチュアにも、プロにもあった。男子の対抗戦の成績は関東の20勝12敗3引き分け。 《写真・昭和45年のアマチュア東西対抗戦(最後の東西対抗)》
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