更新日(2022/05/01)
昭和14年、日本ゴルフ界で一番注目を集めた出来事は、アマチュア2人がプロ界のトップに敢然と挑んだ痛快な出来事だろう。ことの発端はアマチュアゴルフの若いホープ2人が、当時トップクラスのプロを向こうに回してチャレンジした痛快物語。話はこうだ。 アマチュア界の若手ホープといわれた近衛文隆さんは、学生時代はアメリカ留学のために、プリンストン大学に学び、好きなゴルフを楽しんだ。だが帰国後、父・文麿首相の秘書官を務めたことから、好きなゴルフはままならなかった。競技に出たくとも、総理大臣の秘書官という立場から、その機会がなく、後輩の原田盛治さんが日本アマのチャンピオンになるなど、一歩先を越されたような不満があった。そこで、うっぷん晴らしというわけではないが、プロゴルフ界のトップにあった陳清水と林萬福に挑戦という奇想天外な計画を立てた。 当時のゴルフ雑誌は、マチュアがプロに挑戦!と画期的な企画に注目し特集記事を書きまくった。被挑戦者は当時、プロゴルフ界で圧倒的な強さを発揮していた陳清水に林萬福。両者は台湾の出身ながら、日本のプロ界で台湾旋風を巻き起こした存在で、ゴルフ界は騒然とした。 プロ身が勝てば賞金。負ければ『坊主頭になる』という条件も話題になった。 期日は昭和39年の6月30日。場所は千葉県にあった武蔵野CC藤ヶ谷コース。当時のマスコミは『夢の対決』と書き立てた。 陳は1937年の日本オープンの優勝者、林はその翌年のチャンピオン。競技は36ホールのマッチプレーで行われたがプロ組の7アンド6の勝利だった。この時、近衛は24歳の青年だったが、翌15年に陸軍に入隊し、ソ連に抑留されて41歳の若さで帰らぬ人となった。 《写真・ドリームマッチの一コマ。左から新清水、近衛文隆、林萬福、原田盛治の皆さん》
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