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更新日(2017/01/14)
『オープン選手権』にまつわる話題をひとつ・・・ 日本女子オープン選手権は1968(昭和43)年に開かれたTBS女子オープンゴルフにそのルーツがあります。当時、TBSの会長職にあった今道潤三さん(1900〜1979)が、TBSの関連会社のTBS越ヶ谷ゴルフコースで、TBSの事業として女子のオープンゴルフを開催しようと提案したことに端を発しています。しかしオープンゴルフといってもこの時代の女子のゴルフ界はアマチュアの奥様族ゴルファーの全盛期で、女子のプロといってもスコアは100を叩くレベルといわれ、オープン競技はとても開催できる状態ではないと見られていました。 TBSの元幹部によれば朝の幹部会議で、今道氏から突然の提案があったそうで、ゴルフ事情に精通していた運動部サイドから『とても開催できる状態にない』と真っ先に反対の声が上がったそうです。 しかしTBS側としては関連会社がゴルフ場を抱えているので、活性化を図りたいということから女子ゴルフ競技の開催を発案し、大会の後援願いを関連会社名で日本ゴルフ協会に提出しました。 ![]() ところが日本ゴルフ協会は公共の団体である建前から一私的企業のために後援は不可能と断る一幕がありました。そこでTBS側は公放送のTBSの主催と変更し、再度要請しました結果、日本ゴルフ協会は協賛となり大会は兎に角、開催に漕ぎつけました。 昭和43年の第1回は河川敷コースにおいて雨中の開催となり、出場者は苦戦しました。だが、第2回大会以降は台湾のアマチュアの活躍などがあり、ゴルフ界の話題が集中しました。その中で樋口久子さんが日本の女子プロ界のヒロインとして看板的な活躍をしたのが注目され、日本の女子プロの存在を確実なものとした。 創始から3年後には日本のゴルフを統括する日本ゴルフ協会は改めて主催者となり、今日の隆盛に繋がっている。振り返れば女子のオープンゴルフの開催に踏み切ったTBSの英断が日本の女子ゴルフの隆盛の拍車をかけたことになる。 《写真右上・第1回大会の優勝者樋口久子にカップを授与する今道潤三さん。
写真左下TBS女子オープンの看板》
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