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世界遺産に登録された富岡の製糸場、生糸と新井領一郎 番組名:ゴルフは時空を超えて

更新日(2014/08/19)

  群馬県にある富岡製糸場が本年6月、世界遺産に登録されるという嬉しいニュースがあった。この製糸工場は明治5年、日本の産業の近代化と振興を図るために明治政府が建てた。以来、日本の輸出品の最右翼に挙げられていた生糸を近代的な手法で生産して、日本の貿易産業を支えてきた。

 明治9年3月、群馬県出身の新井領一郎(1855〜1939)は、森村組の森村豊ら6人の若者ともに、ビジネスチャンスを求めて横浜から太平洋を渡った。

新井は群馬県の養蚕家・星野家に育ち、養子に行った先の兄・新井長太郎から生糸の輸出計画を持ちかけられて実行するため海を渡った。その時、生糸のサンプルを多量に携えていた。新井は米本土において苦闘の末、一応念願とするビジネスを成功させ、ニューヨークにおける日本人ビジネス関係者の中心的存在になった。

しかし、1902(明治35)年頃、過労のため療養を余儀なくされ、ノースカロライナ州のパインハーストに滞在して療養に務めた。この地はアメリカのゴルフのメッカといわれる保養地だ。新井はここでゴルフを覚え、以来、ゴルフの虜になり、渡米してくる日本人に手当たり次第にゴルフを勧めたという(ハル・ライシャワー著絹と武士)。

教え子の一人に井上準之助がいた。井上は帰国後、日本人のゴルフ場造りに奔走し1913(大正2)年、東京ゴルフ俱楽部を立ち上げた。新井は1935(昭和10)年、母国を訪れ、かつての教え子を伴って東京GC朝霞コースでクラブを振った。

新井と井上は日本のゴルフの元祖といわれる。話は新井の渡米時代に遡るが新井が渡米の際、携えていた生糸は富岡工場で生産されたものでなかったろうか、と想像すると、日本のゴルフはパインハースト、群馬県富岡製糸工場と目に見えない糸で結ばれている。さらに大正時代の末期、日本に近代ゴルフを持ち込んだ赤星六郎は、滞米中にパインハーストの大きなトーナメントに優勝している。となると世界遺産の富岡製糸工場の生糸と日本のゴルフとの面白い繋がりが連想できた。

≪写真 1 新井領一郎(中央)と2赤星六郎≫