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パインハーストと日本のゴルフ 番組名:ゴルフは時空を超えて

更新日(2014/06/20)

  USオープンの開催コース、米ノースカロライナ州のパインハーストは、アメリカのゴルフのルーツが宿るが、日本のゴルフにとっても深いご縁がある。いまを去る90年前の大正13年春のこと。日本人ゴルファーの赤星六郎(1898〜1944)がスプリングトーナメントという大きな競技に優勝して《新星現る!》と米国のゴルフ界で話題になった。このニュースは、通信網が今日ほど発達していなかったことから、報道されることもなく、赤星が留学から帰国してから知られるようになった。

 赤星によれば『プリンストン大学のコーチと猟に行った帰途立ち寄った先で、大会があるから出てみないか、と勧められたので出てみた。いつ負けてもいい、とそんな気持ちでやっていたら勝ち進み、優勝しちゃった』ということから、無欲の勝利だったらしい。

 赤星の証言を裏付けたのは、当時、地元で発行されていた新聞だった。これを探したのは、赤星を師と仰ぐ鍋島直泰さんだった。鍋島の渡米は昭和38年、日米シニアゴルフの対抗戦でパインハーストを訪れたおり、パインハーストの会長(所有者)のリチャード・タフツ氏から新聞を探して貰った。

  今年のUSオープンは沈着果敢なプレーを展開したマルティン・カイマー(29)の頭上に輝いたが、同じ舞台で無欲の勝利をものにした赤星の快挙を日本のゴルファーは見逃してならない。

  もっと時代を遡ると、新井領一郎(1855〜1939)がここで病気療養中にゴルフを覚え、周囲の日本人に手当たり次第にゴルフを勧めた実績が残っている。新井は明治9年に生糸をアメリカに売り込むために渡米した群馬県出身のビジネスマンだが、ゴルフをこよなく愛し、ハル・ライシャワー著の【絹と武士】に詳しく書かれている。新井はその後、ニューヨークにあった日本人の俱楽部で多くの日本人に手ほどきをしている。その内の一人が大蔵大臣、日銀総裁を歴任した井上準之助(1869〜1932)だった。井上は帰国後、ゴルフ場造りに奔走し、東京ゴルフ俱楽部を創設した。日本人の手による最初のゴルフ俱楽部で、日本人のゴルフの原点はここにある。

  男子の競技に引き続き日本時間6月20日から女子のオープン選手権が始まったが、球の転がりが微妙に変化する難コースを制するのは果たして誰か?

《写真・赤星の優勝を伝える地元紙と下段写真中央の人物が新井領一郎》