| 女子学生競技の夜明け〜東雲GCで冷や冷や、どきどきの開催 |
番組名:学生ゴルフの足跡 |
更新日(2012/04/16)
昭和34年(1959)3月31日、関東の女子学生によるゴルフ競技が東京・深川にあった東雲GC(18ホール、パー72)で行われた。正規の競技方法で実施された女子学生による初の競技だった。大学生を押しのけて高校生の増永(現姓・市川)たい子さん(慶應女子高3年)が勝った。
戦後の大学ゴルフの復活は昭和26年(1951)頃だった。在京各校のゴルフ愛好の有志が集まり、相模CCで研修会を開いていた。やがて早稲だの金田武明氏(故人)が音頭を取って関東学生ゴルフ連盟の創立(昭和28年=1958)にこぎつけ、競技会を開こうとする機運が高まった。これを支援したのは朝日新聞社だった。そこから戦後の学生ゴルフの本格的な活動が始まる。同年夏、関東学生ゴルフ連盟主催、朝日新聞社後援で『第1回朝日招待学生競技』(我孫子GC)が開催された。大会には26人が出場したが、その中に2人の女子学生がいた。これが関東学生選手権に繋がる。
その時代、女子は慶應、上智、日本女子、学習院、聖心、成城などの各校が女子部員を募集し始めた頃だったが協議会を開くまでには至らなかった。技術がともなわかったせいもある。せいぜい練習場でボールを打つ程度とみられていたから競技会は無理だった。しかし、ボールを打てばコースに出たくなる。当時の女子部員の父母にゴルファーが多く、その影響を受けていたとみえ、積極的にコースへ出ようとする前向きな姿勢が強かった。
古い記録を調べると昭和33年(1958)7月、新川崎GCで慶應、成城の女子対抗戦が実施されている。これが連盟が主催する女子競技開催のきっかけになった。その年の暮れ連盟の委員たちは女子の競技の開催を検討する会合を開き、支援してくれる新聞社として中日新聞に後援を要請した。この時代、スポーツ競技を支援するのは新聞社以外に見当たらなかった。というのは企業では宣伝臭が濃く、アマチュアリズムに問題を生じる危惧があったからだ。その点、新聞社は公共性があり、アマチュアスポーツに関わるのは最適だった。 幹部の衆議一決によって『第1回東京中日新聞杯争奪関東女子ゴルフ競技大会』()昭和34年3月31日=参加6校19人)を開くべく、運営要綱などが打ち出された。コースは都心から比較的近い東雲GCが選ばれた。戦前からあるゴルフ場に女子の競技を持ち込むのは無理な状況だった。当時の女子学生たちは、まともにプレーできるかどうかの不安もあったからだ。
東雲GC(昭和27年=1952年、開場)は会員制ながらパブリック的な要素もあった。だが幸いにも支配人だった武田左文司氏が学生ゴルフに理解を示してくれた。それ故、開催にこぎつけるまでスムーズにことは運んだ。委員たちは川崎にあった武田さんのお宅を訪問して大会の細目を詰めた。武田さんはアメリカでゴルフをやった経験があり、若い世代を育てることには大賛成だったから、案ずるより産むが易しの流れだった。
実施要綱の重要点は、まずスロープレーの根絶。各組に連盟の委員が付きまとうという念の入れよう。大会実現の中核を担っていたのは石毛欣也(慶應義塾大学)、浅池正一(慶応義塾大学)、中村賢司(早稲田大学)、秋田尚男(早稲田大学)らの各氏であった。委員連は大会当日、コースを走り回ってプレーに進行の眼を光らせた。『冷や冷や、どきどきの連続でした』と委員連中は語っていたが、競技は円滑に展開し、かつ実りの多い結果が出た。高校生の増永たい子さんの優勝は予期せぬ出来事だった。スコアは27ホールを142(47・49・46)でまわり、大学生連中をねじ伏せて大物ぶりを発揮した。
掲載した集合者しいは表彰式後のもので、貴重な記録であろう。東雲GCはすでに無く、現在、用地は有明のテニスの森一帯になっている。このコースは東京湾を埋め立てた広大な土地にできた平坦な18ホールのコースだった。東京駅八重洲口から直通の都営バスがハウス正面まで走っていた。いってみれば戦後できた庶民派のゴルフ場だったが、従業員は常に毅然とした態度で来場者に対応した。埋立地ゆえに、波打ち際にボールを落とすゴルファーも多かった。
ともあれ、初の試みだった女子学生競技は大成功を収めた。昭和36年(1961)には関東女子学生ゴルフ対抗戦が創始されたのは、女子学生たちのゴルフに対する情熱とこの大会の成功が引き金になったと断言してよかろう。その後、女子学生の実力は着実に伸びた。各校とも女子学生の強化に相当力を注いだ結果だったろう。
市川さんは慶應に進学し、東京中日杯には都合6度、翌38年に始まった関東女子学生ゴルフ選手権の第1回大会にも初優勝して学生時代の有終の美を飾った。東京中日新聞杯争奪関東女子学生ゴルフ競技は春季、周期大会と年2回開催されて昭和49年(1974)まで続いた。だが翌50年(1975)から後援が日刊スポーツ新聞社に引き継がれ、平成13年(2001)を以って終了した。女子学生ゴルフ競技の基盤を築いた貴重な大会だった。女子学生のゴルフがよちよち歩き始めた時代の秘話である
《写真は、第一回東京中日杯関東女子学生ゴルフ競技の記念撮影=東雲GCで》
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